こんにちは。アメリカで不動産エージェント兼コンサルタントとして働く佐藤です。
昨日はアメリカ不動産金融の中でも主な融資機関とそこから融資される資金、そして誕生する債権の流れについてお伝えさせて頂きました。
プライマリーマーケットと呼ばれる市場で融資資金は個人・法人に貸し付けられ、その時点でお金を貸す側(債権者)とお金を借りる側(債務者)との間の契約の下に「債権」が誕生します。
プライマリーマーケットの金融機関はその債権をセカンダリーマーケットと呼ばれる市場に売りに出し、次の融資の為の資金を確保します。
セカンダリーマーケットではこの債権を他の様々な債権を組み合わせて証券化し、投資家に売りに出すことで利益を上げ、更にプライマリーマーケットから債権を買い続けるのです。
一方でプライマリーマーケットで融資に使用された資金は、そもそもは法人・個人が銀行のセービングアカウント(普通預金口座)に預け入れたお金ですから、銀行は融資の元金と共に返ってくる利息の一部を預金者に分配することで、預金者に報いる仕組みとなっています。
そこで、これらの融資の一連の融資資金の動きは
「不動産物件購入のために融資を受けたい」
という個人・法人の願いから始まります。
そして、当然ながら融資を受けた後は毎月金利に応じた利息を返済することになりますので、
「今借りると金利は何パーセントなのか?」
という金利の数字は融資を受ける側の個人・法人にとっては非常に重要な判断事項なのです。
このような金利の上げ下げで購買意欲も増減するような心理面があるからこそ、連邦準備理事会(FRB)による金利の上げ下げには世の人々が敏感になるわけです。
今日はアメリカ不動産金融にも大きく影響する、金利についてその歴史の一部と金利が不動産市場に与える影響について、掘り下げていきます。
近代アメリカ社会の金利の動き(1980年代後半から)
1980年代後半 、住宅ローンの金利はなんと2ケタの大台に乗りました。この項を書いている現時点ではFRBにより金利は1.42%ですから、当時がいかに高金利の時代であったかが分かります。
(出典:フレディ・マック統計資料より)
この異常ともいえる金利上昇は当時のアメリカ経済の急激なインフレ(物価上昇)を抑えるべく、FRB(連邦準備制度理事会)が急激に金利を上げ続けたために起こったものでした。
そしてこの高金利は不動産市場にも甚大な影響を与え、個人・法人を問わず多くの人々が不動産購入から手を引く結果となったのです。
この非常事態ともいえる状況を受けて、各金融機関では市場を動かし続ける為にありとあらゆる対策が取られ、その流れの中で個人・法人にとって融資を受けやすくするべく様々な商品が短期間で開発されることとなりました。
例えば債権者と債務者が協力し合う「共有ローン」(そのほとんどは商業物件用)、変動金利ローン、変動返済額ローン等、極力借り手の負担を軽減し、かつ貸し手である金融機関が市場で生き残る為の方法が編み出されていったのです。
その後10年ほどの間に、金利は以前の急激な上昇とほぼ同等の速さで今度はどんどん下がり続け、従来の健全な固定金利ローンへの需要が戻きました。
この一連の流れを受けかつて2桁まで上昇した金利は6~8%にまで下がり、その結果として住宅ローンのリファイナンス(借り換え)への需要が高まることとなりました。
多くの債務者が2桁金利の傷を癒やすべく、仕切り直してその時点の返済残額を低い金利で返済するように立て直したのです。
必然、貸し手である金融機関の動きは従来の物件購入の為の融資事業から、既存の高金利の変動金利ローンや固定金利ローンの借り換え融資事業にほぼ集中することとなりました。
結果として、これらの癒やし期間を経て不動産売買の動きは一気に加速し始めることとなったのです。
その不動産業界の活況はそのまま2000年代まで20年近く続き、その間に金利は下がり続けました。
そしてこの繰り返される低金利を受けて更に多くのローンの調整がなされ、貸し手である各金融機関はリファイナンスの需要に追われることとなりました。
難局に向き合う姿勢
アメリカ金融業界の歴史を振り返ってみると、この1980年代後半の2桁金利ピーク期間ほど、アメリカ金融機関の大変革が行われた時期はなかったと思います。
金融業界の大再編とも言えるこの時期の中で各金融機関は生き残りに必死になり、それまでの経営のあり方が大きく問われ、お金がお金を生むという錬金術に甘んじていた緩い金融機関は次々と潰れていきました。
当時金融業界の中でもトップを走っていたような「バンク・オブ・アメリカ」ですら、倒産寸前まで追い込まれたのです。その一方で、商業銀行の中で最も力強く当時の苦境を乗り切ったのが「ウェルス・ファーゴ銀行」でした。
それまで「バンク・オブ・アメリカ」の経営陣が大理石の豪華な部屋で日々の経営を行っていたのに対し、「ウェルス・ファーゴ」の経営陣はボロボロの椅子に座って喧々諤々の議論を頻繁に行っていたことはよく知られるところです。
決して驕らず、真剣に事業に向き合ってチームで常に全力を出し続ける姿勢が、このようないざという時の難局を乗り切る力として両者の違いを決定づけたのかもしれません。
現在ウォーレン・バフェットが率いる「バークシャー・ハサウェイ」はウェルス・ファーゴ銀行の大株主ですが、ウォーレン・バフェットがこのようなウェルス・ファーゴ銀行の経営姿勢とその底力を評価しているのは間違いないように思います。
かくして、アメリカ不動産金融の大編成を経て生まれた「リファイナンス」という手法は金融業界を復活に導く技術として誕生しました。
そしてこの時の金融業界復活の勢いは、2000年初期まで続いたアメリカ不動産バブルへの道と続いていくことになります。
投資案件をメールマガジンで無料購読。
下記よりメールアドレスをご登録ください。