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こんにちは。アメリカで不動産エージェント兼コンサルタントとして働く佐藤です。
世界で一番最初に先物取引の原型をつくったのは日本人、淀屋常安(よどやじょうあん)です。
大阪が「天下の台所」として世に知られる土台をつくった豪商であり、その純資産は現在の貨幣価値で約200兆円でした。
もし淀屋常安が今も生きていれば、世界の大富豪の中でトップは淀屋常安だということになります。
世界で最も裕福なアマゾン・ドットコムの創業者ジェフ・ベゾスの2019年現在の総資産額が約16兆円ですから、ジェフ・ベゾスですら淀屋常安の資産総額の足元にも及ばないわけです。
数年前、知人の黒人投資家(不動産ではなく株式市場の専門家)に言われたことがありました。
「私はJoan Yodoyaを最も尊敬している。彼の哲学には学ぶところが非常に多い。」
海外でも知る人ぞ知る淀屋常安は、当時世界の豪商の一人でした。
今日から海外でも尊敬される淀屋常安の偉業を簡単にたどり、不動産投資にも活かせるその信念に学んでみたいと思います。
顧客の利益を最大限に引き出す
淀屋常安はもともとは武家の出身でした。
織田信長の時代に討たれ、それから商人に転身しています。
最初は材木商人として起業した淀屋常安は、当時豊臣秀吉が大阪城を建築するにあたり全国から集った新規参入の材木商人の一人でした。
鳴かず飛ばずの材木商人であった淀屋常安に一つのチャンスが訪れます。
豊臣秀吉から命じられた伏見城の完成までと2日という時、1000人の人夫を必要とする巨大な岩を動かす大工事が必要となったのです。
外の業者が現在の価値で約5億の見積もりを出していたところ、淀屋常安だけがその十分の一となる約5千万という安値で入札。
他の商人には約5千万円で岩を移動するなど到底不可能であった為、大損覚悟の売名行為だろうと横で笑っていたのです。
そして作業の当日。淀屋常安は1000人よりもはるかに少ない人夫と現場に訪れました。
確かに少人数であれば5千万円で十分に作業は出来ます。
けれども少人数では巨大な岩を移動することなど不可能なように思われました。
ところが淀屋常安の指揮する作業部隊は岩の前で何を始めたかというと、巨大な岩の横に大きな穴を堀り始めたのです。
かなりの重さの巨大岩を人力で移動させるのではなく、穴を掘るだけならはるかに少ない人数で済みます。
そして十分に大きな穴が出来上がったら、今度は岩を単純に押すのではなくテコの原理で巨大岩を大きな穴に転がり落とすことに成功しました。
こうして無事に5千万で利益を出しながら、伏見城を予定通りに完成に至らせたのです。
そしてこの功績は豊臣秀吉の目にも止まりました。
その後に豊臣秀吉はこの男ならと、当時氾濫が頻発していた淀川に堤防を建設することを命じます。
そして淀屋常安はその期待に応えて短期間で2.4キロにも及ぶ堤防を無事に完成、ますます信任を受けることとなります。
ここまでで淀屋常安による大きな功績が3つあります。
1つ目に、巨大岩を取り除くことで無事に伏見城を予定通りに完成させた功績。
2つ目には、十分の一の予算で巨大岩を取り除くことで役所の多大な経費削減に貢献したこと。
そして3つ目に、淀川の氾濫を防ぐ堤防を建設したことで大阪のインフラを一つ整えたことです。
これはあらゆる商売にも通じる考えだろうと思いますが、商売の基本はあくまでも
「ニーズに対するサービスを用意すること」
と、
「その利益を最大限に引き出すこと」
ですね。
世の中は提供者の原理で殿様商売なるものも多くあります。
近年の例でいえばiPhoneはそれに近いかもしれません。
機器の世代が進むにつれてどんどん値上がりし、2000年初頭に将来10万を超す機種が登場するなど誰が予想したでしょうか。
商売が長く続くコツはあくまでもそこにある需要に対して、最大限の利益を計ることにあるように思います。
私(佐藤)もこのような姿勢に学び、投資支援のご依頼を頂戴する時には個々のご状況に100%カスタマイズして、かつ利益が最大限になるように心がけています。(その完成度はまだまだですが。。)
徳川家康からも信任を受ける
そして淀屋常安が天下の豪商と呼ばれるようになった経緯の一つに、もうひとりの大人物から信任を得たことが上げられます。
200年に渡り日本を平定させた徳川家康です。
大阪冬の陣の時に、関東から出陣してくる予定の徳川家康に淀屋常安は伺いを立てます。
「本陣を私に作らせてください。無償で奉仕します。」
無料ならと徳川家康は本陣建設を任せたところ、仕上がった本陣は壁も非常に高く防御性が高いのみならず、建物も切妻屋根に始まるデザイン性の高いもので、本当に立派なものでした。
そして淀屋常安の先渡しという無料奉仕の精神は戦が終わってからも続きます。
戦の後には城下には数多くの戦死者の遺体が残されていました。
「戦死者の遺体を埋葬まで任せてください。全て無償で奉仕します。」
ここまで徹底的に無償奉仕する覚悟に、徳川家康は大きくその心を許し、
「戦死者が身につけていた甲冑や刀は、好きに売却してよい。」
と許可を与えます。
またしても淀屋常安は先渡しで徹底して尽くす姿勢に与えられ、この時の売却からの利益は現在の価値で約2,000億円にもなるそう。
「分に応じて出来る限り、人様のニーズに合わせて最大限の利益を提供する」
この精神は昔も今も通じることが分かります。
先渡しのサービス精神とそこに後追いでもたらされる利益のスノーボールが、やがて後の大事業への土台になるように思うのです。
そこから淀屋常安は更に波にのり、後に大阪を天下の台所と言わしめる改革に乗り出すことになります。
明日に続けます。
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