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こんにちは。アメリカで不動産エージェント兼コンサルタントとして働く佐藤です。
小学2年生の時、革命的な出来事がありました。
ひとつの本体にゲームカセットを入れ替えることで様々なゲームがテレビ上で楽しめるゲーム機が世に登場したのです。
そのゲーム機は任天堂の「ファミリーコンピューター」なるもの。
当時のテレビはもちろんブラウン管のアナログですが、後方にあるRF端子に本体からつなぐという実に簡単なつくり。
購入したその日の夜、その時ばかりはファミコンとテレビを接続してくれる父を
「フレー、フレー、お父さん!」
と声に出して心から応援しましたね。
初期のファミコンのコントローラーは十字キーにボタンはAとBだけの2つと実に単純なものでした。
それと比べると現代のコントローラーはおそろしく複雑怪奇ですが。。
ちなみに初期のファミコンの特徴はボタンが「ゴム製の四角ボタン」だったことです。
ゴム製かつ角がとがっているために、ボタンを押すとしばしばひっかかってもどらないことがありました。
案の定、後発機ではこの点が改善されてボタンはゴム製の四角ボタンからプラスチック製の丸ボタンに変更されたのですが。
そして小学生の佐藤は他の友達と同様にファミコンにはまっていきます。
いちばんハマりこんだのは主にシューティングゲームで、ギャラクシーやゼビウスなど、当時の男の子にしか分からないだろう世界がありました。
そこに輪をかけたのが全国ファミコン大会です。
スターソルジャー等のこれまた当時の男の子世代にしか分からないだろうゲームが一世を風靡し、佐藤も負けじと大会に出たのでした(しょぼくも予選敗退)。
そして中学になる時に登場したのが「ドラゴンクエストシリーズ」です。
ロールプレイングゲームと呼ばれる冒険物語で、そのストーリーに当時の子供たちは心を奪われていくのでした。。
かくして、当時の心境は「寝ても覚めてもファミコン」だったと思います。
宿題はさっさと済ませて、親から文句を言われないように体制を整えてゲームの続きです。
学校での話題も最新ゲームの話題がほとんどでしたし、
ドンキーコング
スーパーマリオ
ボンバーマン
等、つぎつぎと飛び出すヒット作に夢中になり続けました。
。。。
そんなゲーム少年でしたが、やがて自分のゲーム熱は冷めていきます。
数年間追いかけ続けたゲームの世界に対して燃え尽きたが、中学まででゲームはすっかり卒業してしまい、高校からはゲームコンソールに触れることはありませんでした。
プログラミングに夢中になる
そして後に、人生二度目となる衝撃的な出来事がありました。
プログラミングとの出会いです。
当時はWindows95が世に出て間もないころで、結構なレベルでプログラミングに取り組みやすい環境が整いつつありました。
衝撃的な出会いがあると、どうにも止められずにそこに一点集中で没頭してしまうのが佐藤の性格です。
あの小学2年生の時の感覚が蘇り、それから10年以上にわたりプログラミングに没頭し続けることになりました。
当時の心境は「寝ても覚めてもプログラミング」だったと思います。
プログラミングは0か1、YesかNoの両極端な世界です。
必然的に数字と式で物事の構造を組み立てる頭がつくられていきましたが、没頭する日々の中でも実感していたのはファミコンに夢中になっていた子供の頃と変わらない感覚です。
ある意味自分の中ではゲーム感覚でプログラミングを続けていたのでしょうし、だからこそ飽きずに10年以上も没頭し続けたのだろうと思います。
不動産に夢中になる
そして今度は、人生三度目となる衝撃的な出来事がありました。
ひょんなことから片手間に任された不動産管理が、佐藤の運命を大きく変えることになったのです。
ファミコンに出会った時の衝撃とその後のハマり度合い
プログラミングに出会った時の衝撃とその後のハマり度合い
不動産業に出会った時の衝撃とその後のハマり度合い
ここに差は全くありません。
「寝ても覚めても」の感覚は小学2年生の時のまま(笑)。
アメリカ不動産業界に携わるようになってかなりの月日が経ちますが、近年書き始めたこのブログもまた、そんな小学2年生の時に初めて味わった感覚と同じ気持ちで書き続けているように思います。
「不動産ネタでよく毎日書けますね」
と言われることがよくありますが、ファミコンをやり続けることと同じで全く苦ではありません。
いつまでもやり続けたい、いつまでも考え続けたい、そんな苦行とは正反対の感覚で溢れる毎日。
とどのつまり、不動産業そのものもどこか「ゲーム感覚で楽しんでいる」部分があるのだろうと思います。
ただしファミコンやプログラミングと比較すると、この人生三度目のドツボにはまったゲームは難易度が相当なレベルです。
継続的な学びと実践なしには先の場面に進むことは出来ませんし、無理やり進もうとすれば結構な痛手を被る可能性もあります。
気がつけば今日までに現地パートナーが随分と増えてきましたが、ここまできて確信していることがひとつ。
「日本人の仕事はアメリカ不動産業界で十分に通用する」
自分自身の不動産の旅もまだまだ入り口に立った程度と謙虚に捉え、先の大きな目標に向けて毎日「寝ても覚めても」であり続けたいと考えています。
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