こんにちは。アメリカで不動産エージェント兼コンサルタントとして働く佐藤です。
老子(ろうし)の言葉に
「足るを知る者は富む」
というものがあります。
「満足することを知っている者は経済的には貧しくとも、精神的には豊かで幸福感に満たされている」
という意味ですが、現代社会に生きる人々の中にはある種の違和感を感じ
「お金は全てじゃないけれども、お金は必要では?」
「そこそこで満足するよう教育する為の言葉のまやかしでは。」
そんな異論が出てくるかもしれません。
私(佐藤)自身は、この言葉は間違いではない風景を過去に何度か見たことがあります。
例えばアメリカ合衆国内でいえば「アーミッシュ:Amish」と呼ばれる人々がいます。
キリスト教から派生した宗教集団ですが、その宗教上の教えから今でも移民当時の生活様式を保っている人々です。
ペンシルベニア州のアーミッシュの集落を訪れた際(生活様式の見学が一般開放されています)、電気も車もない生活を現代も続けていることに驚きました。
- 男性の服装
- 女性の服装
これは幼子から大人まで全員同じで、移動手段は馬車のみ。
食べ物の自給自足は当然で、自分たちが暮らす家も男たちが協力して建てています。
文明国であるはずのアメリカ国内とは思えない光景に驚きましたが、それ以上に興味深いのは、その集落の人々の幸福度が相当なレベルにあるということです。
それはとってつけたものではなく、コミュニティがまさに一つの家族のように暮らす中で育まれたもので、離婚率も数パーセントと極端に低いとのこと。
過去に米国大手メディアのCNNでも
「精神的には(先進国に暮らす)私たちよりも、彼ら(アーミッシュの人々)の方が成功している」
とほぼ断定する論調で書かれていましたが、このことは間違いなさそうです。
一見モノやお金のない生活で不便そうに見えて、実はそこで暮らしている人たちは不便だとはちっとも思わずに幸せに暮らしているという事実。
そしてこのアーミッシュの人々のように極端なまでに文明社会から離れずとも、隣国のメキシコ人もつい数年前は「世界で最も幸福を感じている人々が多い国」にあげられていました。
アメリカはアーミッシュの集落やメキシコよりも経済的に豊かなはずですが、先日の連邦議会襲撃等を見ても決して「心豊かで幸せを感じている人々が多い国」とは言えなさそうです。
新しい価値観の広まり
その一方で「お金を持つ人々」の本音はどうでしょうか。
このことについて、最近興味深い情報発信をよく目にするようになりました。
それは特にミレニアル世代と呼ばれる若い世代からで、すでにミリオン単位を稼ぎ出している人々からの言葉ですが、共通するのは
「昔はお金がすべてと思っていた」
「けれど富を持ってみても、(自分の生活は)何も変わらない」
「自分の役割を探求しながら毎日を必死に生きる方が面白い」
そんなセリフ。
実際には上記のような感性は何も今のミレニアル世代だけではなく、昔から同じであるように思います。
現代社会では情報発信が誰でもし易くなった為に上記のようなセリフが目につくだけで、ゼロ発進から富を持った人々が行きつく先の感想には今も昔も大きな差は見られません。
けれどもこの情報発信力の違いこそが過去との違いで、
「富を持ったけれども、結局は何も変わらない(お金は目的にはなり得ない)」
そんな実感の共有は、いよいよ世に広く知られてくるのではないでしょうか。
ここにかけ合わせて、もしも
「もはやビフォーコロナの時代には戻らない」
これが本当だとすれば、その先は過去とは全く違った価値観が広まってくるのかもしれません。
ちなみに今の日本では恐らく聞かない言葉ですが、バブルの時代には
3K(高身長・高学歴・高収入)
なる言葉がありました(理想の男像として)。
社会に出れば先輩方の鼻息荒く、上を目指す気負いに溢れていた時代だったように思います。
けれども
「お金は持つことが成功の証(あかし)」
的な価値観はここから急速に薄れてくるように感じているのは私だけではないのでは。
達成できる目標は「足る」の向こう側に
とはいえ、やや矛盾するようですが「お金の金額」そのものは目的ではなくとも目標になり得ると思います。
自分がどこまで達成できたのかは数字でないと測れませんし、紙切れそのものが欲しいわけではないにせよ、金額を目標にすることは何ら間違っていないと考えています。
ただし、その目標額もやはり「自分にとっての足る」で十分なはず。
度々この流儀のカテゴリーでも書いていますが、多くの場合は人々が欲するのはお金という名の紙切れではなく、本当に欲しいものは生活の安心感です。
お金がないということは生活そのものが脅かされることになりますから、意識するしないに関わらず
お金がない ⇒ 暮らしていけない苦しみが待っている
そんな認識があるから誰でも「お金が欲しい」と感じています。
けれどもその本音はお金そのものではなく「生活の安定・心の安心感が欲しい」ということに他なりませんから、金額を目標とするにしても
「自分が生活に安心感を得るにはいくら必要なのか」
そこが最低ラインの目標目安になるでしょうし、それ以上に達成したい自己実現があるのならば、
「○○を成し遂げるには○○の目標が絶対に必要」
と「足る」以上の「絶対必要な目標」に落とし込む必要があると思います。
ちなみに私(佐藤)自身はといえば、語るのも恥ずかしいくらい足る以上の大きな目標を掲げています。
その目標にはもちろん成果を量る為に金額を基準にしており、自分が死ぬまでにどうしても実現しておきたい目標です。
このガソリンでエンジンをかけてからそれなりに月日が流れましたが、心の中に燃料は後から後から溢れてきますし、たぶん当ブログの毎日更新が続いている理由も「足る」の向こう側の「どうしても」の理由があるからです。
コロナウイルスうんぬんは足を止める理由になりませんし、いよいよ本年からビッグチャンスに入る今、今年も年中無休で最後まで走り続けていきたいと思います。