昨年以来、米ドルで資産運用を志す方々からのコンサルティング依頼が急増しています。
弊社ではアメリカ不動産コンサルティングに加え、州規制当局に登録されるRegistered Investment Advisor (RIA)としてアメリカ国内での資産運用全般のコンサルティングも提供しており、内容は不動産投資以外となりますが、初心者の方々からのご質問を総括する意図で株や債券に関するまとめ記事を1月7日から期間限定であげさせて頂きます。
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こんにちは。アメリカで不動産エージェント兼コンサルタントとして働く佐藤です。
「富を構築する為の絶対条件」
なるものがあるとすれば、その一つは間違いなく
「お金を深く深く理解すること」
だと思います。
そこに法則性なるものが存在するのかは分かりませんが、少なくとも心理的には誰でも
「自分をよく理解して好意を持ってくれる人に好意を持つ」
ことは大いにあるでしょうし、人に限らずお金についても
「お金を深く理解してお金に好意を持つ人にお金は寄ってくる」
ことは不思議とあると思います。
この
「お金のことを深く理解する」
ことは極めて大切でしょうし、お金を深く理解せずにお金が貯まることはないように思うのです。
世の子供教育のほとんどにお金に関する授業は未だにない一方で、子供たちは幼い頃から育つ環境の中で「お金の力」を頻繁に見ることになります。
「お金がないと人は生きていけないんだ」
「お金は人を幸せにも不幸にもするんだ」
誰もがそんな共通認識を持つようになるのです。
それはあたかも洗脳教育のように、良くも悪くもお金の絶対性を誰もが幼い頃に刷り込まれてしまいます。
けれども大人になって冷静に考えてみるとお金そのものは紙切れに過ぎず、
「この紙切れはモノやサービスと交換する時に使える」
という『同意』が存在しているに過ぎません。
その昔は紙切れではなく、コモディティを中心とするモノそのものが
「このモノは物々交換に使える」
という同意がなされていましたし、やがて精巧な紙切れがアメリカドルで言えば
1ドル
5ドル
10ドル
20ドル
100ドル
と、それぞれの紙切れが「恒久的に変わらない価値を持つ」という同意をもって使われているにすぎません。
そこで現代で
「お金が欲しい!」
というのは
「世の人々が価値があると同意している紙切れが欲しい!」
ことと同義である一方で、もしもドルが
「ここからの米国通貨はデジタルのフェデラルコインに切り替える」
となった途端、今のドル紙幣の価値はゼロになってしまいます。
本質的に自分たちがお金お金と呼んでいるものはモノやサービスの交換に必要な媒体に過ぎず、お金のものが欲しいわけではないものです。
お金の性質を深く知る
なぜ当ブログで冒頭のような話を出すのかと言えば、不動産投資でもまた
「お金を深く理解すること」
が不可欠と思うからです。
「アメリカ不動産投資の成功術」
と題してお送りする当ブログですが、本来であれば不動産云々以前に
「お金」
のカテゴリーを設け、お金そのものに対する認識を深める情報に力を入れても良いのかもしれません。
弊社のサービスをして
- アメリカ不動産物件の取得
- アメリカ不動産の運用
- アメリカ不動産の売却
等で一定のお手伝いは出来たとしても、お金のことを深く理解することなしには早晩、資産構築は伸び悩むことにすらなりかねません。
順調に不動産を通して富を構築していく人々の共通点の一つとして
「お金をマスターしている」
ことは間違いありませんし、その反対にお金の奥深さを知らないことは無防備にリスクに直面し得るものです。
そこで当ブログの趣旨とは外れてしまいますが、本シリーズでは少しだけお金の本質について触れておきたいと思います。
あくまでも金融知識に対する補足として項を上げるもので、お金の専門家を名乗るつもりは毛頭ないのですが、お金の本質について深く知る知らないではアメリカ不動産投資においてもその成果に大きな違いが出てきます。
ここでは極力簡単に、物語をもってお金の性質についてみていきましょう。
ちなみに下記に記載する物語は完全な創作ではなく、FED(連邦準備制度)が漫画形式で
で公開している内容の一部を嚙み砕いています。
村にお金が現れた
とある村にお金とは無縁に暮らす人々がいました。
その村では共同生活に必須となる物々交換はお金ではなく「モノ」で行われています。
肉や魚など、およそ長期保存できないものが物々交換として使われる日々。
ある日、そんな村に$1,000を持つ者が引っ越してきました。
村人はお金の存在は話で聞いていたものの、実際に村に$1,000もの大金が入ってきたことで興奮。
その村には銀行が設けられ、この$1,000が預けられることになりました。
正真正銘、この狭い村社会に存在するお金は$1,000です。
お金は村人たちがそれまで物々交換に使っていたコモディティとは違い、長期に保存しても腐ることはありませんから「価値」を保つには優れています。
村人たちはこのお金を使うことで、「腐る前に使わないと」と急かされることなく、その価値保存の力をいつでも使えるようになるのです。
そこで$1,000を預かった銀行は融資業務を開始することになります。
「銀行は預かった現金の90%まで貸しに出してよい」
というルールのもと、
「$900を借りたい」
という村人の要請に答えて当初の$1,000から$900が貸し出されることになりました。
この$900が貸し出された後、銀行に残ったお金は$100になります。
そしてお金を借りた村人は$900を使うことになりますが、そこには利息を付けて一定期間内に銀行に少しずつ返済する約束です。
そこでお金を借りた村人は$900を借りましたが、すぐには使わずに借りた$900を自分の銀行口座に入れました。
銀行にしてみると、貸した$900が戻ってくることになります。
そしてここから不思議な現象が始まりますが、
「銀行は預かった現金の90%まで貸しに出してよい」
というルールに基づいて、銀行は2人目の村人の要請に応えて
$810($900 × 90%)
を貸すことが出来ます。
そしてこの村人もまた銀行の自分の口座に$810を入金し、銀行には貸したお金が戻ってくることになりました。
加えて3人目の村人に貸す時は同じく90%となる
$729($810 × 90%)
を貸しに出すことになります。
実に、銀行の帳簿の中だけで見るとここまでに
$900
$810
$729
で合計$2,439が貸し出されたことになります。
では実際に銀行は$2,439を所有していたかと言えば、本当は$1,000しかもっていないはず。
つまり
$1,439($2,439 - $1,000)
は帳簿上の数字以外の何でもなく、存在しないはずのお金なのです。
この「何もないところから生み出されたお金」が現実の経済でも巡っていることになります。
明日に続けます。
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