こんにちは。アメリカで不動産エージェント兼コンサルタントとして働く佐藤です。
ここ最近、chatGPTという名の秘書を雇って仕事の在り方を変え始めています。
chatGPTについては
でも触れましたが、私(佐藤)自身は自分の出身が出身なだけにchatGTPには肯定的で、これからも
「AIに出来る仕事はAIに任せた方がよい」
と考えています。
結論、当ブログの内容も
「新しい秘書(chatGPT)にお願いしようかな」
と思い試してみたのですが、今の段階では無理です。
表面的なアメリカ不動産投資の知識はいくらでも答えてくれますが、自分で経験しないと語れないことは全く答えられませんし、
「chatGPTがあれば、知識ゼロの初心者がアメリカ不動産投資を成功できるか?」
といえば、このレベルはまだ先のことになりそうです。
もっぱらその時は質問に答えてくれる云々以前に、本当に初心者が安心して取引できるようになるにはよりシステマチックに
「不動産権(Deedに相当)がブロックチェーン技術で管理されている」
といったレベルで、役所(すなわち米国)のシステムとしてブロックチェーン技術を導入するレベルにまで至る必要がある気がします。
それでも完全に仲介人という人間を介さずに最後まで取引が完了できるか(完了したいか)は別の話ですが、不動産取引に必要なシステムそのものは随分とハードルが低くなるのではないでしょうか。
私(佐藤)自身は一日も早くアメリカ不動産市場のシステムそのものがそのレベルに至らないかと期待する一人ですし、士業の仕事の中でもAIにはできない分野にかける時間を特化したいと考えています。
再定義の時代
そしていつの時代もそうであるように、文明の発達に光と影の双方はつきものです。
極論、現代の金融資本主義そのものがそのピークに向かい加速し始めているように感じるのは私だけではないはず。
人類の歴史を紐解くと、いかなる文明も永続していないことを私たちは知っていますし、
「金融資本主義文明はここ永劫に続く」
というシナリオはどうにも描けません。
むしろ、私たちが生きている間に、現代の金融資本主義そのものが大きく変化していくのではないでしょうか。
その終わりは唐突かもしれませんし、或いはグダグダになってフェードアウトするものかもしれませんし、誰一人創造だにし得ない方向に人類は流れていくように思うのです。
そんな希望と混乱が交わる世界で一つだけ言えることは、
「それでも人類は生き残り続ける」
ということでしょうか。
過去に消滅した帝国や文明を上げるとキリがありませんが、その紆余曲折の人類史の最後に、やっぱり人類は生き残っています。
恐竜の絶滅は隕石衝突に起因する可能性が高いと言われていますが、そんな絶滅規模の大災害でもない限り、地上から人がいなくなることはないのではないでしょうか。
そして現代のここまでの金融資本主義の流れと、今のベクトルがさす未来を考えたとき、希望と混乱が混在する時代に益々深く突入していくことは間違いないように思いますが、ともすると「人としての生き方」そのものも再定義してもよい時期にきているのかもしれません。
ここまでで、アメリカでは
「幸福な人生と有名大学を卒業することは、何の関係もない」
ことが証明されています。
これまでは誰もが
「学歴は必要」
「高い給料をもらうには必要」
「学歴は幸せな人生を送るための必要条件」
のように考え、事実、アメリカでは(最近は日本でも)学生ローンが大きな社会問題にもなっています。
学を求める為に学生のうちから借金をかかえ、マイナスで人生をスタートせざるを得ないのが多くの人々の現状です。
ところがそこまでして取得した学位が、実は幸せな人生とは関係がないことが証明された今、人生の在り方そのものを見つめなおさざるを得ない時期にきているように思うのです。
格差の真因は
私(佐藤)自身は
「やっぱり、未来は明るいよね」
と考えている一人ですが、時代の変化と共に自分自身で人生と展開していく者なら誰でも、先には希望しか見えないのではないでしょうか。
そして学位そのものは否定しませんが、ここまでで誰の目にも明らかなのは
「知識を身に着ける」
ことではなく(小中高、大学で学んだ知識が、AIには全く勝てない)、
「知識を活用する」
ことでもなく、
「問題を解決する力」
でもなく、それ以上に
「本質を見極めて、何が問題かを見極める力」
ではないでしょうか。
そして最上位にくるべきは
「何が問題なのかを見極めて、その解決に行動する力」
のような気がします。
ここからも経済格差は広がり続けることは防ぎようがなく、けれどもそれ以上に新しい時代に生きる者たちとしては、恐れるべきは
「行動格差」
のはずです。
⇒ 自分が得意で大好きな分野を見つけ
⇒ 方向性を定めて努力し続け
⇒ 四の五の言わずに行動を起こし続ける
そんな姿勢が分母である限り、この先の希望と混乱が混在する世界がどのような形で現れようとも、人生には希望しか見えないように思っています。