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こんにちは。アメリカで不動産エージェント兼コンサルタントとして働く佐藤です。
最近、人の寿命をスマートフォンのバッテリー(電池)に例える話を聞きました。
例えば寿命が100歳だとすると、0歳から100歳まで100年間あります。
これをスマートフォンのバッテリー残量(電池残量)だとすると
0歳 … 100%
10歳 … 90%
20歳 … 80%
という具体に、1年年齢を重ねるごとに、バッテリー残量(電池残量)は1%ずつ減っていきます。
働き盛りの30歳は残量が70%、キャリア絶頂期に入るといえるだろう40歳では残量が60%。
そして定年をかなり現実的に考えるだろう50歳では残り残量が50%です。
人生100年時代と言われる今、50歳の時点で残り残量が50%というのが早いのか遅いのかは個人より意見が分かれるところかと思いますが、ただ一つ間違いないのは
「年を重ねるごとに、バッテリー残量(電池残量)が確実に失われていく」
ということ。
そしてもしもその人の寿命が80歳だとすれば、40歳の時点でバッテリー残量(電池残量)は50%。
50歳になると、バッテリー残量(電池残量)はなんと37.5%ということになります。
スマートフォンのバッテリー残量(電池残量)がどこまで減ったら充電を開始するのかは人それぞれですが、私(佐藤)自身は常々、早めに充電をするタイプです。
早めどころかスタンド型の充電器を
- オフィスの机の上
- キッチンカウンターの上
- テレビラックの上
等に設置してあり、思い立った時にその上にポイント置いていますので、厳密には80%を切らない相当早い時期に充電し続けていると思います。
そんな感覚ですから、バッテリー残量(電池残量)が50%を切ろうものなら不安な気持ちが出てきますし、ましてや
40%
30%
と減ってくるとかなり焦るもの。
それがもはや
20%(!)
10%(!!)
という数字はほとんどお目にかからないだけに、稀にそこまで減ると相当焦るわけです。
実際のところ自分の寿命を知る人は誰一人としていないわけですが、あえて
「生きても80年」
と考えてみて、50歳でバッテリー残量(電池残量)37.5%と考えると
「充電必須!(けれども充電不可)」
ということがシミジミ分かります。
自分の役割を絞る
そして年齢も40~50歳になると、自分のキャリアなるものはかなり絞られているのではないでしょうか。
稀に50、60歳を過ぎてから起業するようなツワモノもいるわけで、カーネル・サンダース(ケンタッキーフライドチキン創業者)のように65歳になってから会社を興す人もいます。
けれども高齢者になってから起業する人々も実際には過去の積み重ねの延長で事を興しているわけで、そう考えるとやはり50代までには人生のキャリアはほぼ固まっていると言えそうです。
⇒ バッテリー残量(電池残量)は40%を切っている
⇒ キャリアはほぼ固まってきた
そんな風に考えると、いよいよ覚悟は決まってくるもの。
その意味では私(佐藤)自身もそろそろキャリアは固まりつつある時期です。
というよりも、ここまでの軌跡を見ても今更
「医者に転向します!」
「税理士になります!」
等のキャリア変更はあり得ないでしょうし(そもそも不向き)、このままアメリカ不動産を専門に突き抜けていくしかなさそうです。
そして良い意味で
「バッテリー残量(電池残量)、残り50%未満間違いなし」
と思えば、それこそ過去の延長でこのまま突き進むしかないように思うのです。
そこでかくも残り時間があるとは言えない段階にきた今、自分の人生で世に向けて一定の役割を最後まで果たすとすれば、そこにこれからも現れるだろうお客様は
アメリカ不動産市場において
自宅の購入・売却を希望する方々
投資物件購入・売却を希望する方々
投資案件に出資を希望する方々
等、およそ生きる上で必要となる衣食住の中の一つ、暮らしを守る家という不動産資産をして、お求めになる方々を適切に導くことだと思うのです。
そしてここまでの軌跡で間違いないと確信していることが一つ。
誰でもそうだと思いますが、人生において自分の役割を絞り、かつ一つの物事を突き詰めて続けていくと
「人様にお喜び頂ける機会は指数関数的に増えていく」
これだけは間違いないように思います。
お金はおまけでついてくる
社会人として駆け出しの頃にはこの辺りはなかなか理解できないものでしたが、バッテリー残量(電池残量)が残り半分を切るような時期になるとかなり鮮明に見えてくるものがあります。
遠慮なく露骨に言うなれば、
「お金はおまけでついてくるもの」
これは確実です。
若い時にはこのことがどうしても見えず、
「お金はもらうもの」
「稼ぎに行ってこそお金は懐に入る」
そんな先入観のままに社会人として経済活動に参加していくことになります。
もちろん自ら稼ぎに行かないとお給料はもらえないことは間違いありませんが、本質を突き詰めていくとお金とは対価の位置づけ以上でも以下でもありません。
お金という紙切れに意味付けをするのはあくまでも人であり、紙切れはあくまでも無機質なまま。
その紙切れに喜びや悲しみを見るのはそれを手にする人であり、その紙切れは自分が世に価値を与えた対価の結果におまけでついてくるものだと思うのです。
もちろんこのことは私(佐藤)の個人的な気づきに過ぎず、それはあくまでも自分(佐藤)にとって正しいと思える定義に過ぎないのかもしれません。
それならそれでよく、
「お金はおまけでついてくる」
という主張を他人様に押し付けるものでもありませんが、少なくとも自分の体験上そのことを知っているとすれば
⇒ バッテリー残量(電池残量)は40%を切っている
⇒ キャリアはほぼ固まってきた
⇒ 自分が世に果たすべき役割が絞られてきた
という今、目標は
「アメリカ不動産をして、お客様のリターンを最大化する」
これ一本に絞り、人様にお喜び頂ける機会を指数関数的に増やすことだけに注力し続けたいと思います。
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