こんにちは。アメリカで不動産エージェント兼コンサルタントとして働く佐藤です。
家の売却というのは、人生の中でも大きな決断のひとつです。
多くの人にとってマイホームは「最大の資産」であり、売却益は老後資金や次の人生設計の柱になります。
けれども、その常識とはまったく逆の選択をする世帯もあります。
例えばとある夫婦は市場価格よりも25%安く家を売り、「地域の家賃上昇を止める」という道を選んだのです。
アメリカの住宅市場では、長年にわたり「格差の拡大」と「コミュニティの分断」が問題になっていますが、ここから紹介する「Pay It Forward Program(ペイ・イット・フォワード・プログラム)」は、その流れに逆らうように生まれた新しい試みです。
このプログラムを運営しているのは、ワシントンD.C.の非営利団体「Douglass Community Land Trust(ダグラス・コミュニティ・ランド・トラスト)」で、その目的は
「住宅を投機対象ではなく、地域の共有資産として守ること」
です。
参加する売主は家を市場価格よりも低く売却し、土地をこの団体に譲ります。
団体はその土地を信託として保有し、住宅部分のみを新しい購入者に販売。
購入者は99年間の借地権契約を結び、低コストで安定した住まいを得ることができます。
こうしてその家は将来にわたって「手の届く価格」で維持されるわけです。
この仕組みを選んだのが、冒頭の夫婦。
1992年に16万ドルで購入した自宅の価値は、今や83万ドルにまで上昇していました。
周辺では高収入の白人家庭が増え、長年の住民が次々と追い出されていく現状。
「自分たちがこの家を市場価格で売れば、またひとつ地域の多様性が失われてしまう」
と感じた二人は、あえて65万ドルで売却しました。
結果として夫妻は30年の間におよそ26万ドルの利益を得ましたが、本来ならさらに30万ドル多く得られたはずです。
それでも彼らは
「自分たちの豊かさは偶然と時代の恩恵によるもの」
と考え、利益の一部を地域に「還元」する形を選びました。
この家は現在、41万ドルで新しい買い手に引き継がれようとしています。
年収9万5千ドルあれば購入できる水準で、まさに30年前のこの夫妻が購入した時と同じくらいの負担感です。
この行動は、次世代に「手が届く家」を残すという意思表示でした。
この「Pay It Forward」の理念は、近年注目されている「YIGBY(Yes In God’s Backyard)」運動にも通じます。
こちらは教会や信仰団体が土地を提供して低所得者向け住宅を建設する動きですが、この夫妻の場合は「信仰」ではなく「良心」に基づく行動でした。
この選択は単なる寄付ではなく、アメリカ社会に深く根付く「住宅=資産増加の手段」という考え方に、一石を投じたわけです。
実際、アメリカでは白人世帯の平均資産が黒人やヒスパニック世帯の6倍にも達すると言われています。
その背景には、長年にわたる政策的な格差や住宅融資の不平等がありました。
土地信託を通じて住宅を「共有の財産」として残すことは、こうした歴史的な偏りへの小さな是正でもあります。
経済的な犠牲を払っても、自分たちの住んできた地域を守りたい。
そんな思いがこのプログラムの根底にあります。
もちろん、すべての人がこの選択をできるわけではありませんが、経済的に余裕のある人たちがこうした行動を取ることが、社会全体の価値観を少しずつ変えていくことになります。
そしてこのプログラムには、税制上のメリットもあります。
売主は市場価格との差額を「寄付」として控除でき、譲渡税も免除されます。
けれども同プログラムへの参加者にとって税制で優遇されることはあくまで副次的な要素であり、その行動は
「別の家族に自分たちと同じチャンスを与えること」
です。
家を売るという行為が、社会をより公平にするひとつの方法になる。
そんな可能性をこの事例は示しています。
「Pay It Forward」は単なる住宅プログラムではなく、「所有とは何か」という問いを突きつける静かな革命のようなものかもしれません。
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