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こんにちは。アメリカで不動産エージェント兼コンサルタントとして働く佐藤です。
「金継ぎ」と呼ばれる、割れた器を漆と金で継ぎ直す日本の修復技法があります。
近年は世界各地で「Kintsugi」とそのまま呼ばれ、欧米の心理学書や経営書のなかでも、たびたび比喩として引かれるようになりました。
世界中の人たちがこの技法に静かに惹きつけられているというのは興味深いものです。
金継ぎという言葉が独特なのは、「修復」というイメージを、こちらの想像と少しだけずらしてくるところにあります。
ものが壊れたとき、私たちはたいてい「元に戻す」と口にします。
壊れる前の姿が、いちばん完全だったという前提がその言葉のなかにすでに織り込まれているからです。
けれども金継ぎは、その前提を静かに退けます。
割れた線を消そうとせず、むしろその線をなぞるように、金色の細い帯を引いていく。
完成した器は、もはや元の姿ではありません。
割れたという出来事をもう一つの履歴として身に纏った、別物の器です。
そう考えると、金継ぎは「直す」というよりも「縫い直す」と呼んだ方が、いっそ近いのかもしれません。
縫い目が見える服を誇らしく着るような感覚にどこか似ています。
物件にも、履歴は刻まれている
少し角度を変えて、不動産という仕事の側からこの発想を眺め直してみたいと思います。
長年、現場で物件と向き合っていると、繰り返し思わされることがあります。
それは、物件にも必ず履歴は残るということです。
過去にトラブルのあった物件。
リフォームの判断を誤って、買い手の足が遠のいてしまった物件。
入居者との関係が、いつのまにか冷え切ってしまったRental Property(賃貸物件)。
その表面をいくら塗り直しても、Disclosure(重要事項の開示)の段階で過去はかならず姿を現します。
紙の上にも、人の口にも、データベースのなかにも、その物件の「割れた線」がしっかりと記録されているからです。
そう考えると、不動産という仕事のなかに、二つの選択肢が静かに立ち上がってきます。
割れの線を、なんとかして消そうと足掻くのか。
それとも、その線を堂々と縁取って新しい景色の一部にしてしまうのか。
頭で考える限りは、後者の方が筋がよさそうに見えます。
けれども現場の判断はたいていの場合、前者の方へと引っ張られていきます。
「とにかく、綺麗に見せたい」
「過去のことは、できるだけ言いたくない」
その気持ちは、売り手側に立つ人として、ごく自然なものだろうと思います。
ここで一つ、頭のなかで想像してみたい場面があります。
割れた器を前にして職人がこれから金の線を引くかどうかを決めようとしている、その直前の瞬間です。
太く引くのか、細く引くのか。
派手に光らせるのか、影に沈めるのか。
そこで選ばれた一本の線が、その器の、その後の表情をすべて決めてしまいます。
不動産の現場でも、これに似た「線の引き方」を求められる場面がしばしばやってきます。
物件の過去を、どう開示するか。
その情報を、どの順番で、どの言葉で、買い手の前に並べるか。
リスクをどう説明し、どんな強みと組み合わせて差し出すか。
ここに、Listing Agent(売り手側のエージェント)の腕の見せ所が、確かに存在しています。
割れの線を必死に隠そうとすればするほど、買い手側には、不思議と不信感が伝わってしまうものです。
逆にその線を堂々と金色に縁取って差し出すことができれば、その物件は別の魅力を持った一点物として、もう一度市場のなかに立ち戻ることができます。
「金を流す」という覚悟
ここまで考えてみて、もう一段踏み込んでみたい論点。
実際のところ、金継ぎという技法はずいぶん奇妙な行為でもあります。
割れた線をただ接着剤で繋ぐだけなら、その痕跡はある程度までは目立たなくなる。
けれどもわざわざその上に金を流し込むということは、
「ここで、確かに割れました」
と、自分の側から声をあげる行為に他なりません。
これを、不動産の文脈にそのまま置き換えてみます。
過去にトラブルのあった物件を売り出すとき、Disclosureに正面から書き込むのか。
物件管理で起きた一件を買い手との対話のどこかで、自分の側から切り出すのか。
それとも、聞かれない限りは、わざわざ触れずに通り過ぎるのか。
「金を流す」という選択は、必ずしもその場の交渉を楽にはしてくれません。
むしろ、一時的には買い手の警戒を引き寄せてしまう場面さえあります。
それでも長く市場のなかで仕事を続けていると、こんな景色が積み重なってきます。
割れた線を金で引き直しておいた物件は、後から別の買い手の目にも、誠実な存在として残っていく。
逆に、慌てて隠した割れはいつかかならず、別の場面で口を開けてしまう。
そのことを何度も繰り返し、見せられてきたように思います。
割れていない器だけが、価値のある器ではない
かくして、金継ぎという言葉を考え続けていてふと、こんな仮定が頭に浮かびます。
「もしすべての器が割れずに最後まで使われていたなら、金継ぎという技法はそもそも生まれていなかったのではないか」
割れることがあるから、継ぎ直すという仕事が世のなかに存在している。
割れることを引き受けたから、新しい美しさがその器に生まれてくる。
その因果のあり方は、不動産という仕事のなかにもそのまま流れ込んでくるように感じます。
新築や傷ひとつない物件だけを扱っていれば済む、という話ではありません。
一度割れて、それでも捨てられずに残ってきた物件と、毎年、何度も向き合うことになります。
そんなとき、頭の片隅にあるのがこの「金を流す」という発想です。
割れたことを否定するのでもなく、隠してしまうのでもなく。
割れた線にこそ、もう一度光が当たるように、ゆっくりと金を引き直していく。
とどのつまり、その手つきの積み重ねが「市場のなかで信頼を続けていく」という仕事の輪郭を、すこしずつ形づくっていくのではないか。
そんな風に、最近は考えています。
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