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こんにちは。アメリカで不動産エージェント兼コンサルタントとして働く佐藤です。
昨日は
「米連邦準備理事会(FRB)が定める金利はなぜ騒がれるのか?」
という切り口からお伝えさせて頂きました。
法人・個人が多額の資金を要するときに銀行を始めとする金融機関から借金をしますが、金融機関もまた
「一定の現金を内部留保するべし(準備金を確保するように)」
という法律の定めにあり、法人・個人に貸し出す貸金業を継続するために現金を確保するべく
中央銀行から借金する
民間銀行間で貸し借りする
等の方法で資金を補っています。
金融機関が融資を受けるということはそこに金利から定められる利息が伴うわけで、中央銀行は米連邦準備理事会(FRB)の傘下ですから米連邦準備理事会(FRB)が定める金利で中央銀行は各金融機関に貸し出します。
金融機関としてはボランティアではなく商売である以上は儲けを出さねばなりませんから、米連邦準備理事会(FRB)が定める金利以上の金利で法人・個人にお金を貸し出す結果となるわけです。
つまり、結果としては米連邦準備理事会(FRB)が定める金利が法人・個人が借用するお金の額、或いは今のタイミングで借用するか否かの意思決定にまで影響を及ぼすことになり、最終的には世の経済活動全般に影響し、末端の個人の生活にまで大きく影響が及ぶのです。
これが、米連邦準備理事会(FRB)の金融政策が頻繁に報道されて騒がれる理由です。
米ドルの影響が徐々に弱まっているとはいえシェールオイル・シェールガスを自国内で確保した今、米国の世界への影響力がごく短期間に急落することは考えにくいと思います。
いってもやはり基軸通貨としてのドルは今も健在ですから、米連邦準備理事会(FRB)の金融政策が世界の経済活動に影響し続けていくことになるのです。
本日はここから続けます。
インフレとデフレをコントロールする米連邦準備理事会(FRB)
米連邦準備理事会(FRB)の金融政策を理解する上でもう一つ理解しておかなくてはならない経済用語は
インフレーション(inflation)
と
デフレーション(deflation)
です。
モノの値段が継続的に上昇し続ける状態をインフレーション(inflation)と呼び、経済学では好景気の時にインフレ(インフレーションの略)が起こりやすいといわれています。
反対のモノの値段が断続的に下降し続ける状態をデフレーション(deflation)と呼び、不景気の時にデフレ(デフレーションの略)が起こりやすいといわれます。
米連邦準備理事会(FRB)の意思決定機関となる理事会が特に神経を張り巡らしてモニタリングしているのがこのインフレとデフレの関係です。
世の中の経済活動は需要と供給で成り立っており、モノを求める需要が高ければ価格は断続的に上がり(インフレ)、反対に需要が低く供給過剰となると価格は断続的に下がってきます(デフレ)。
世の中が好景気であるのはよいことである一方で過剰な物価の上昇は法人・個人にとって苦しくなり、経済全体にとって不健全な状態に陥ってしまいます。
また反対に不景気となりモノをつくっても売れない状況が続くと失業者が増えたり、また賃金も減らされたりして世の中のカネ回りが悪くなります。
国全体が健全に発展していくためにはインフレすぎずデフレにならず絶妙なバランスで経済が発展していく必要があるのですが、その健全な発展の指数は一般的に物価の年間上昇率がおよそ2~3%あたり、と言われています。
この健全な経済発展を促すべく人為的にさじ加減をもたらそうと取り組んでいるのが米連邦準備理事会(FRB)による金融政策なのです。
米国金融政策の歴史
ここで、米国の金利の歴史をグラフで見てみます。
(セントルイス連邦準備銀行データより)
。。。
何とも穏やかではありませんね。
特に1970年代から1980年代にかけて異常なほど金利が上昇し、2007年から異常なほど金利が下降してつい最近までほぼゼロ金利の状態となっていました。
このグラフはそのまま米連邦準備理事会(FRB)が経済の動きをコントロールしようと試みてきた軌跡を表していますが、まずは最も大きな動きのあった
70年代 ~ 80年代
のポイントを押さえておきたいと思います。
70年代 ~ 80年代の激しいインフレ
1970年代後半から80年代初頭にかけ、アメリカでは2年連続2ケタのインフレが続きました。
この時期の消費者物価は
1976年 +4.9%上昇
1978年 +9%上昇
と、大変な上昇率です。時系列でみると
1978年末
イラン革命が勃発し、石油の輸出が停止されて第2次オイルショックを引き起こしました。この時点で原油価格は14%も上昇し、世界的なインフレに発展します。
1979年
原油価格が2倍に引き上げられ、アメリカの消費者物価は+13.3%に及びました。
同年の秋にポール・ボルカーが米連邦準備理事会(FRB)の議長として就任、銀行が米連邦準備理事会(FRB)に預ける準備金の額を直接引き上げることで通貨量を直接コントロールするという政策をとりました。
1980年夏ごろ
高金利政策が徐々に効果を現わして物価の上昇ペースは落ちてきましたが、1981年夏には金利が20%を超え、ここから一気にアメリカは不況となってきました。
1982年秋
消費者物価の上昇が+3%台となり、その後10年以上にわたり安定して理想に近い物価上昇率が続くこととなりました。
。。。
上のグラフを見ると、この時期の金融政策がどれほど激しいものだったかが一目瞭然ですね。金利をどんどん上昇させることで経済にブレーキをかけ、健全な物価上昇率に戻そうとしていた過去がはっきりと見て取れます。
明日はこの1970年代から1980年代の同時にの不動産市場の傾向をみていきます。
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