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こんにちは。アメリカで不動産エージェント兼コンサルタントとして働く佐藤です。
日本の学校教育
アメリカの学校教育
これら双方の教育方針の違いでよく聞くのが
⇒ 答えを求める教育
⇒ プロセスを考える教育
の違いです。
日本の教育の場合は公式をもって正しい答えを求めるのに対し、アメリカの教育では答えに辿り着くまでの考え方を重要視するという違いがあるとのこと。
どちらの教育方針にも一長一短あると思いますのでひとっからげにどちらが良い悪いと断ずることは出来ないと思いますが、少なくとも双方の教育方針を見てきた者としてはこれらの違いは事実だと思います。
例えば日本の小学校に通う子供たちの算数の問題用紙を見ると、
8 + 2 = ( )
と、答えを書くように作成されています。
ところがアメリカの小学校に通う子供たちの問題用紙を見ると、そこには
8 + ( ) = 10
と書かれてあります。
ほんのちょっとした違いですが、このちょっとしたことの繰り返しが
「答えを考える」
「プロセスに何があるのかを考える」
の違いを分けるのかもしれません。
そしてこの考え方の違いは大学まで続き、とりわけシステムエンジニアレベルになると数字の答えとしては正解であったとしても、そこに辿り着くまでのプロセスが論理的に語られていなければ評価はされないものです。
もちろんここではどちらの教育が良い悪いを語るものではなく、あくまでも両国の教育方針には明確な違いがあるという点に論点があります。
いっても日本の義務教育は世界でもトップレベルですし、今の時代に日本では大人になって基礎的な読み書きができるのは当たり前。
片やこの「当たり前」がアメリカでは決して当たり前ではなく、大人になっても読み書きに支障がある人々の割合は少なくありません。
またアメリカの教育がプロセスを重視するからといって、それでは正解は重視されないかといえばそんなことはなく
「正解を間違えた」
となればやはり子供たちも恥ずかしい思いをしますし、思春期にもなれば正解を間違えることを恐れる感情は芽生えてくるものです。
そして大人になると、最悪の場合
「間違えても間違いを認めない」
という風潮が無きにしも非ず(というか、すごく多い)。
興味深いもので、間違えた時には日本であれば
「間違えました!」
と認めるところに周囲は「潔さ」を感じ、その反省から努力する姿勢が評価されるものではないでしょうか。
もちろんアメリカでも間違いを認めることに評価はありますが、日本のそれとは少し違うかもしれません。
自分は完璧でないことを認める
そこで冒頭のような
- 日本の教育
- アメリカの教育
の違いを踏まえた上でどちらに優位性があるのかといえば、少なくともこれまでの見聞では
「どちらにも大差はない」
と考えています。
なぜなら、いざ社会に出た時には受けた教育よりも以前に同じ人間として
「羞恥心」
が共通に成長の邪魔をするものだからです。
「間違えると恥ずかしい」
「ミスをすると恥ずかしい」
そんな羞恥心に紐づいた感覚は人種を問わずに起こり得るもの。
実際のところ、私(佐藤)もまた完璧とは程遠い人間です。
この点、以前から当ブログをお読みくださっている方々はその正体をよく知ってくださっているでしょうし、公に晒されるブログとはいえ自分の素を常々さらけ出しているつもりです。
恰好つけてイメージ像を作ってしまうとどんどん苦しくなるでしょうし、常日頃から自分を正直にさらけ出す方が気持ちの上でも楽なものです。
よくアメリカでは
- 優秀な人材が集まり易い
- シリコンバレーはその最たるもの
- 教育の違いが結果をもたらす
と言われますが、結果だけ見れば確かにイノベーションが起こり易い国だと思います。
近代社会の発明はかなりの割合でアメリカ発であることは事実でしょうし、今この瞬間にもシリコンバレーではAI技術を始めとする近未来技術の熾烈な競争が展開されています。
けれども率直に、アメリカのイノベーション力はアメリカの教育システムの結果だとはとても言い難いものです。
日本の教育も十分に優秀ですし、だからこそ世界的に活躍する人材も多くいます。
もしもアメリカに利点があるとすれば、アメリカの場合は「チャレンジをさせてくれる環境が十分に整っている」程度ではないでしょうか。
けれどもその土俵に乗るか乗らないかは決して教育の違いではなく、
「喜んで恥をかきにいけるか」
であるように思います。
日本人だろうがアメリカ人だろうが、恥を恐れずに前のめりに進む人々はどんどん成長していきます。
日本人だろうがアメリカ人だろうが、羞恥心が先立つ人々は今の環境の中で無難に生きていこうとします。
少なくとも両方の国を見てきた半生の中ではそのように見えますし、開き直りではなく
「どうですか、私はこんなに失敗しています。」
そんな風に完ぺきではない自分を公にさらけ出すことは、実は他の誰でもなく自分の為だろうと思うのです。
「私は自分の仕事に絶対の自信があります(キリっ)」
「あっ、でもこれは間違えました。申し訳ございませんでした。このように改善して、同じ間違いはしないように努めます。」
大人になると失敗は許されないと言いますが、少なくとも挑戦し続ける大人であれば死ぬまでノーミスで生きていく人など皆無でしょう。
ノーミスで死ぬまでいけたとしたら無難な仕事しかしていないか、何もやらなかったかです。
そして恐ろしいのは、
「間違えることは恥ずかしい」
この概念は大人になると死ぬまで固定観念として残りかねませんし、そんな固定観念に囚われたら最後、鳴かず飛ばずの人生に終わってしまいかねないものです。
- 人様の命を預かる仕事
- 人様の大金を扱る仕事
等の失敗があってはならない分野はそれこそ周りのプロたちと一緒に何重にもレイヤーを敷いて事に取り組むべきですが、それ以外の一般的なタスクのレベルでは
⇒ 自分の間違いを直ちに認める
⇒ 改善した内容を開示する
⇒ 同じミスはしないと心がける
そんな式で恥をかきながらも前に進む方が、最後には吉と出るように思うのです。
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