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こんにちは。アメリカで不動産エージェント兼コンサルタントとして働く佐藤です。
たまに、興味深い議論を目にすることがあります。
「投資は人の行き過ぎた欲望」
「投資で儲ける人は浅ましい」
これに対し
「個人の投資も経済循環の必須条件」
「個人が行う投資行為に何ら非はない」
という趣旨の議論です。
一面、現代社会は投資行為なしに経済が回らないことは事実かと思います。
どんな商売を始めるにしても出発の資金がないからこそ、事業を始める人々は多くの場合金融機関から用立てて事業を開始していきます。
多少の資本金を自分で準備したとしても事業として育てていく上ではそれなりのまとまった資金が必要となりますから、借金をして事業をスタートさせるわけです。
この場面では投資側は多くの場合金融機関であり、その事業を見込んで資金を貸し与えて利息の形でリターンを得ることになります。
そして冒頭でいう議論とはもちろん金融機関ではなく、個人による投資行為のことです。
株式投資
不動産投資
を始め、債券その他の投資機会に自己資金を投じて自分のお金を殖やしていく行為が
「浅ましい」
という評価を受ける場合があるとのこと。
実際のところ個人による投資行為は憚られるものなのでしょうか。
一面、投資に対する認識は日本とアメリカの双方で大きく違いがあるように思われます。
アメリカの場合は自分の事業であれ投資であれ、
「地に足をつけて自分の実力で稼いだ」
というのであれば、
「そのお金を個人として投資に使おうが個人の自由」
という認識。
これに対して日本の場合によく聞くのが、自分の実力で稼いだ場合でもおおっぴろげに
「自分は◯◯に投資している」
と公然と語ることがさほどないようですし、興味深いのは特に中小企業の経営者の方々は個人の投資行為を周囲に語らない(語れない)パターンが多いと聞きます。
けれども日本とアメリカでこのような多少の違いはあれど、それでも投資行為に対する認識には時系列で両国に共通する傾向があるように思います。
社会認識が変わる時
意外に思われるかもしれませんが、アメリカでは半世紀ほど前まで
「投資行為は浅ましい」
という認識があったそうです(ご年配アメリカ人曰く)。
その時のアメリカの社会通念としては
「貯蓄こそ大切」
「貯蓄をしていれば将来は安泰」
「貯金を投資行為で更に殖やすのは貪欲の現れ」
と、どこの国でも聞きそうな認識です。
堅実に働き、着実に貯蓄額を殖やし、将来の社会保障と合わせて老後に備えるというのが社会常識だったとか。
分かりやすいのは1929年の大恐慌の時代、あの頃に投資でお金を殖やしていく行為には眉をひそめられる風潮があったとのこと。
当時はすでにニューヨーク・マンハッタンを中心に投資行為は盛んに行われていましたし、ラジオ技術が当時のハイテックであった流れから
The Radio Corporation of America (R.C.A.:アメリカ・ラジオ会社)
の株などは大人気でした。
けれども時代の流れに乗って株を買う人々を冷ややかに見る目の方が多く、大暴落の後には
「それ見たことか」
「欲をかくからそうなるのだ」
そんな論調も多くあったというのです。
そして実際に当時は個人で投資をしなくても老後資金を準備できる時代でした。
第二次世界大戦の影響で一時的に不景気に襲われた時期もあったものの、50年代の好景気では人々の経済状況はかなり好調で、当時の新聞にも
「貯蓄金利17%」
「堅実に貯めて老後に備えを」
そんな見出しが残っています。
貯蓄しておくだけで17%の金利。。
もしも今の時代に17%も金利がつくのであれば、誰もが喜んで預金口座にお金を寝かせるのではないでしょうか。
そしてこのような
個人で投資せずとも貯蓄額を殖やせる
(金本位制度の為に)ドルの価値が下がらない
という背景があったからこそ、
「投資で更に殖やす必要はない」
「貪欲が過ぎる」
という評価がアメリカでも定着していたのです。
個人の投資は必須の時代に
それから年月が経ち、近代社会のアメリカでは
⇒ 金本位制度を廃ししたこと(一時的という約束は果たされなかった)
⇒ 社会保障(年金)のみの老後保証を断念せざるを得なくなったこと
から、
「個人の投資は必要(将来に向けて必須)」
という認識に変わってきました。
例えば
401Kリタイヤメントプラン
などは正に
「自分の老後は自分で準備してくださいよ」
「このリタイヤメント口座で少しでも有利に投資行為を実行してください」
「政府はあなたの老後の面倒を見ることは出来ません」
そんなメッセージを含めた政府政策です。
そこで80年代以降は主婦でも必死に株価を追うような風潮が出始め、あたかも国民スポーツのように投資に対する真剣度が変わってきた経緯があります。
今ではアメリカでは
「投資行為は浅ましい」
という議論はほとんど聞くことがありませんし、浅ましいも何も
「老後の備えに必須」
であり、
「勤める会社から支援を受けながら401Kで上手に投資資金を回す」
という自己責任の老後基金運用は極めて当たり前になっています。
そしておそらく、日本でもこの
「個人投資は老後に向けて必須」
という認識は今よりも遥かに広く一般的になっていくのではないでしょうか。
定期預金でも1%もつかない時代に貯蓄のみで老後の準備が整うはずがありませんし、自助努力で稼ぐ以上に投資行為で老後に備えることは選択ではなく必須になるはずです。
もはや個人による投資行為が
「貪欲さの現れか否か」
という議論は的を得ないでしょうし、貪欲も何も、生きていく上で個人による投資は間違いなく必須の時代となるように思います。
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