こんにちは。アメリカで不動産エージェント兼コンサルタントとして働く佐藤です。
高校3年の頃、ある日の休み時間に腐れ縁の友人が悔しがりながら独り声を荒げていました。
「なんだこの点数!」
「勉強に打ち込む為に部活を諦めたんじゃなかったのか?」
「何やってんだよ俺は!」
そんな風に自分に激を飛ばしていたのです。
彼は小学校の頃から
- 成績優秀
- 抜群の運動神経
- 普通にカッコイイ
という、出木杉君を地でいくような優秀モノ。
高校でも成績上位者だけを集めた特別なクラスに在籍し、至って普通のクラスで普通に過ごしていた佐藤とは雲泥の差がある生徒でした。
元々はサッカー大好き青年で中学まで打ち込んでいたものの、高校からは大学受験に専念するべく帰宅部を貫いていたのでした。
ちなみに、この彼と同じ特別進学クラスに在籍する、テニス部に所属するある女の子がいました。
放課後は毎日テニスに打ち込み、文武両道よろしくどちらも両立し続けていた彼女。
実を言えば、前述の男の友人はこの女子生徒の成績に常に後塵を拝していたのです。
名前こそ口に出していませんでしたが、彼はこの女子生徒のことをかなり意識していたことは傍目にもよく分かりましたし、
「自分はサッカーを諦めて彼女よりも勉強に時間を使っている」
「それなのに、なぜ自分はいつも彼女より下位なんだろう?」
そんな心の声が聞こえてきたものです。
ちなみに補足すると、悔しがっていたこの彼は今でも立派な現役の医者です。
要はどちらも地頭からして良く、彼女の方は自分が意識されているとは思っていなかったでしょうが、相当上のレベルで競い合う2人でした。
一点突破に生きる

今でもアメリカで同業他社間の競争を目にするとき、前述の友人の話を思い出すことがあります。
- ほぼ同じ規模の両社が
- ほぼ同じ資本金で
- 似たような目標に向けて動く
はずなのに、なぜか年々差が開いていくのです。
それぞれの社員の能力に大差はあるようには見えず、けれども徐々に徐々に、歴然とした差が見えてきます。
⇒ 情熱は変わらず(差があるようには見えず)
⇒ どちらにも戦略があり
⇒ 給与にも大差があるようには見えない(むしろ成果を上げる企業の方が低い)
そんな実例が数多くあるのです。
けれども恐らく行動力に大差はなくチーム力もそう変わらないはずの彼ら/彼女らには、一つだけ傍目に見て分かる違いがあります。
それは
⇒ 行動指針をたった一つに絞り
⇒ 一点突破の行動を
⇒ 飽くなき反復で繰り返している
という簡潔さです。
私(佐藤)自身は日本での就業経験がありませんのでその真偽は分かりませんが、よくネットニュースで目にする声に
「無駄な仕事が多い」
「生産性が低い」
「会議が多すぎる」
という意見があります。
米国の場合は確かに日本と比較すると合理性が強い部分があるかもしれませんが、それでも合理的に動いているつもりでも成果につながらない行動を起こしていることも決して少なくないように思います。
冒頭の彼女がどんな勉強方法を継続していたのかは知りようがありませんが
「(部活に時間を取られた後の)短い自宅学習時間だからこそ的を絞り、無駄な勉強はしていなかった」
というのは言えるのではないでしょうか。
もちろん友人の彼も相当なレベルでしたし、平均モノの佐藤に言われた筋合いはないのですが、どちらも地頭からして良いのにその結果のどこに違いがあったかといえば、やはり彼女の勉強方法は相当なレベルで時間の使い方が集約されていたのだろうと思うのです。
連続性が慣性を肥大化させる

かくして同様に年々差がついていく競合各社を見ていると
「一点突破の連続性」
この累積には空恐ろしいものを感じます。
具体的に例を挙げるなら分かり易いのが「アマゾン」です。
ジェフ・ベゾス氏は今でこそ会長職に退いていますが、とりわけドットコムバブルを命からがらに脱げ出た以降のアマゾンの命運を定めたのが
「一点突破の連続性」
にあったことは有名な話です。
ベゾス氏が社長を退く時期にはもはや彼自身もアマゾンの成長を止めることは出来なくなっていましたし、今も尚スノーボールが肥大化し続けるように誰もその成長を止められないレベルに到達しているのは、人の力では不可能な
「一点突破の連続性が慣性を肥大化させ続けている」
からだと言われます。
その法則性は事実でしょうし、このことは個人として人生であげる成果にも同じことが言えるはず。
⇒ 自分はここには情熱を注げる
⇒ この分野は平均を大きく超えるレベルに到達できる
⇒ 経済的にも潤う
そんなドツボにハマり、かつその中でも
「突き詰めるべき支点はここ!」
という一点を見つけ出したのなら、その支点を軸に数パターンを回転させ続けると、後年自分でも信じられないような成果が上げられる法則です。
「時間が経てば経つほど成果が指数関数的に伸びる」
けれども
「時間が経てば経つほど時間に余裕が出来る」
という一見矛盾する成果は確かに起こり得ます。
後年どんどんラクになるのは肥大化する慣性が背中を押してくれるからで、おぼろげながらもそれを実感すればこそ、私(佐藤)自身もまだまだながら
「アメリカ不動産の中でもここ!」
という一点突破の試みを継続しています。
その結果がどうなるかの報告は、またの別の機会に。
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