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こんにちは。アメリカで不動産エージェント兼コンサルタントとして働く佐藤です。
子供から大人に成長する過程で誰しも心理的な成長を遂げていきます。
例えば、子供の頃は誰だって家の中に1人で取り残されたら不安でたまらないものです。
佐藤の両親は共働きでしたが、いつも学校から帰ると母は家にいるものでした。
けれども時折、母も仕事の関係で学校から帰ると家にいないことがあったのです。
当時小学校低学年だった佐藤は誰もいない家に帰るのが怖くてたまりません。
そこで母がいないと知っている日は学校から帰るとランドセルを玄関の中に投げ入れて、母親が帰ってくるまで外で帰りを待っていたものでした。
ちなみにアメリカでは子供たちだけを家に残すことは法律で禁じられていますが、少なくとも当時佐藤が暮らしていた時の日本では小さい子供を家に置いていくことは違法とされていませんでしたし(多分今も)、家に置いて行かれることは普通にあった時代です。
泣きながら待っていると家に戻った母親はあきれていましたが、子供にしてみれば広く感じる家の中にポツンと留守番させられるのは怖いのです。
そんな怖がりの佐藤少年も当たり前のように大きくなるにつれて1人でいることの恐怖心も消え失せ、
暗い部屋
誰もいない家
に怖さを感じることはなくなりました。
このあたりの
「恐怖に慣れる」
という心境の変化は個人差はあれど、誰もが大人になる過程で自然に身につくものだと思います。
その一方で、人としての精神面の成長で
「自然には起こらない心理面の変化」
も幾分あるように思います。
これはあくまでも佐藤個人が感じることでそれが正解かどうか分からないのですが、少なくとも大人になってから
「自分が思っていたことと違うな」
「こんな風に感じる必要はないかな」
と思えることが幾つか思い当たるのです。
自分が思うほど他人は自分を見ていない
例えば、誰もが思春期になると自分の身なりを気にするようになります。
身に着ける洋服
履いている靴
髪型
を気にするようになり、そこには
「周りから見られている」
という前提があるものです。
自分をかっこよく見せたい
自分を可愛く見せたい
そんな気持ちは若い時には誰だってあるでしょうし、ごく自然の心理だと思います。
実際に変な格好をしていると子供の頃には周りから笑われることは普通にあり得たでしょうし、
「9月から新学期が始まったけど、うっかり夏の制服のままで学校に来てしまった」
と恥ずかしい思いをして下を俯きながら歩く生徒は毎年いましたものです。
この
「周りに見られている」
という意識は特に子供の頃に身につくのだと思いますが、大人になると
「実は自分が思うほど周りは自分のことを見ていない」
そんな事実に気づくものではないでしょうか。
それが健全か不健全かは別として、少なくとも子供の頃に感じた周りから見られている意識は大人になると過剰意識であったと感じることが結構あるものです。
もちろん心と体の清潔感は常に意識するべきでしょうし(特に佐藤のような無精性の者は)、周囲に対する適切な配慮も常識の範囲で必要だと思います。
けれども自分が思うほど世間は自分のことを見ていないものですし、過度なまでの気遣いは必要はないと思うのです。
人の直感は当たらない
そしてもう一つ、多分ここも自分で意識しないとその心理的な癖が修正されないと思うのですが
「私の勘は当たる」
「〇〇さんは自分のことを〇〇だと思っているはず」
この手の勘はかなりの確率で当たらないもの。
夫婦ほどつながりが濃くなると夫は妻を騙せないものだと思いますが、恐らくその勘は夫婦止まりです。
同僚のレベルでも
「あの人はこう思っているんじゃないか」
とは的外れなことがほとんどですし、よもやメールやSNSでやりとりをすることが当たり前の時代では
「読み手が文章の意図を派手に勘違いする」
「その勘違いを元に全く見当違いな推測をしてしまう」
これは現代社会では本当によくある事故です。
その回数が重なって度を超してしまうと
「あの人は疑い深い」
「変に常に勘ぐってくる」
ということになるでしょうし、
「私は勘がするどいし当たる」
これは大抵の場合は外れるものです。
そもそも人は自分が見たり聞いたりした記憶でしか想像できませんし、自分とは違う時間を過ごしている他人様の思考は自分の想像の範囲で収まるほど単純ではないもの。
とはいえ人の動向を勘ぐってしまう心理は誰にでもあるものだと思いますし、恐らくこの心理もまた子供の頃に形成されてきたと思います。
けれども
「1人でいることの恐怖心が自然となくなる」
のとは違い、
「自分は人に見られている」
「あの人は自分のこう思っている」
そんな自分発の勝手な心理はある程度大人になると自分で意識的に取り除かないといけないのかもしれません。
要は誰しも不必要なレベルで他人を意識してしまうことがあるわけで、このあたりは快適な人生を送る上では結構邪魔になってしまうように思うのです(少なくとも佐藤にとっては)。
人様のことを勘ぐるヒマがあれば
「自分を高め続ける」
ことのみに重きを置ける方がよほど生産性のある生き方でしょうし、
「もらうよりも与えるに生きる」
方が心の面でも健康的だと考えています。
このあたりは綺麗ごとを語るつもりもなく、率直にいえば
「自分の為に、他人の目を過度に気にするのは止めた方がよい」
「快適に生きるためにも、自分が思うほど他人は自分を見ていないことに気づいた方がよい」
ということになるでしょうし、自分の為を思えばこそ自分を練り上げることに専念した方がよいように思うのです(あくまで佐藤個人の考えです)。
「そうは言っても他人の目が気になる」
「周りがどう思っているのか怖い」
という場合もあるかもしれませんが、現実には周りの誰もが今日を生きることに必死。
いつだったか、そのあたりが自分で腹落ちしてからは
「自分の為が、果ては他人様の為」
の意味で周りを気にせず、マイペースに仕事を続けています。
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