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こんにちは。アメリカで不動産エージェント兼コンサルタントとして働く佐藤です。
日本からアメリカに進出してくる
企業
個人
をサポートさせて頂く際に、しばしば壁にぶつかることがあります。
壁にぶつかるとはやや大げさな言い方ですが、率直に言えば
文化の違い
感性の違い
から、コミュニケーションが上手く進まないことがあるのです。
上手く進まないとはいえ、もちろんそれが
良い
悪い
の話ではなく、同じ民族でも
考え方の違う友人・知人
などいくらでもいるでしょうし、これが国と人種が違うとなると、いよいよ意思疎通でもある種の難しさが出てくるものです。
私(佐藤)自身は日本での社会人経験はないとはいえ
「心は日本人」
のつもりです。
それでも
日本人
アメリカ人
の双方を見てきたなかで
日本では右ハンドル運転
アメリカでは左ハンドル運転
へと切り替えるように、コミュニケーションにおいてもチャンネルを変える必要はあるように思います。
そして相手が人である以上はここにはそれこを千差万別のパターンがあるでしょうし、
理論的な整理
ではなく
感情面の交通整理
である以上、ここもまた、AIがなかなか入れない分野かもしれません。
慮るの心
そして単刀直入に言えば、不動産投資の
購入時
管理時
売却時
のそれぞれのステージでのアメリカ人とのコミュニケーションで難が出やすい要因になるのが
「慮(おもんぱか)る心」
です。
ここも誤解のないように前置きすると、この日本人の「慮(おもんぱか)る」という文化や概念は素晴らしいものです。
奥ゆかしさにもつながるような独特の感性であり、少なくとも私(佐藤)はこの「慮(おもんぱか)る心」というのは日本人の素晴らしい感性の一つだと思います。
およそ世界ではそれに近い概念はあるものの、さほど理解される概念ではないかもしれませんが、その慮(おもんぱか)る心がインバウンドを迎え入れる時の
「オモテナシ」
にも繋がっているように思います。
けれども翻ってビジネスの世界になると、グローバルの世界で取引をする際に大切なのは
「何が共通語なのかを認識すること」
だと思います。
例えば
「本当に頭の良い人は難しい言葉を使わない」
とよく聞きますが、これはその通りではないでしょうか。
ここに国ごとの差はなく、アメリカではウォール街で働く頭の良い(?)はずのビジネスマンでも専門用語を連発して素人に説明する姿を見ることがあります。
そこには
「相手に理解してもらおう」
という姿勢よりも
「いかに自分が知識があるかを披露しよう」
という自己本位は姿勢しか見られないものですし、本当に価値を提供してくれる人は他人本位に説明も分かりやすいはずです。
これと同様に、グローバルで取引をする際にはそれぞれの国籍のものが共通認識されるだろう概念で話しをすることが大前提になります。
そのグローバル言語として最も分かりやすいのが「論理思考」であり、だからこそユダヤ系やインド系に多く見らえる論理思考に長けた人々は、グローバルの舞台で活躍し易い傾向が見られます。
(例えば本項の時点でマイクロソフトの社長も、グーグルの社長もインド人)
そこを意識する時に、日本では美徳とされるだろう
「慮(おもんぱか)る心」
これがグローバル言語(感性)かといえば、そうではありません。
そしてこの慮(おもんぱか)る心から派生するのは
遠慮
配慮
憂慮
といった日本人なら当たり前に理解するはずの感性です。
例えば私(佐藤)が
「いや~、私はリアルターとしても、不動産投資コンサルタントとしても、まだまだなんですよ。。」
というセリフを吐くとき、その真偽はともかくとしてアメリカ人が聞いたら大抵は
「そうなんだ、こいつ(佐藤)はまだ初心者レベルなんだな」
と言葉通りに受け止めるはずです。
NoはNoである
そしてこの遠慮や配慮といった美徳のはずの感性がもっとも邪魔をするのは、実は物件の取引をする時だったりします。
例えばある地域に物件を見に行く際、ありがちなのは紹介する側が色々と見せてくるパターンです。
特にその段取りに複数の関係者が絡む場合、日本人にとっては全うな感性であればこそ
「ここまでしてもらって申し訳ない」
「断りにくいな」
そんな感性が出てきます。
けれども断言しますが、グローバルの舞台で取引する際はこの手の配慮は一切必要はないものです。
少なくとも自分から求めたものでなければ、そこにお膳立てに何人絡もうが
「いくらでも準備してもらって結構」
「でも買うかは分からないよ」
と最初にハッキリ伝えればよいでしょうし、そこで何も言わなければそれこそ
「(購入しようという)気持ちがあるんだな」
と誤解されてしまいます。
要は
「Yes」ならば「Yes」
と言えばよいでしょうし、
「No」ならば「No」
とハッキリ伝えればよいだけの話です。
そこに申し訳ないという配慮は一切必要ないでしょうし、申し訳ないと思うならば最初から
「それはいらないよ」
とスパッと言い切ってしまわなくてはいけません。
だからこそアメリカ不動産取引においては私(佐藤)のような相反し得る文化・感性をつなげる役割が必要ということになりますが、グローバルの世界でお互いが利するべく
「価値を与え合う」
とするのであれば、やはり概念的な共通語で会話をすることが大切なように思うのです。
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