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こんにちは。アメリカで不動産エージェント兼コンサルタントとして働く佐藤です。
物事を成し遂げるのに
「目標は必要か否か?」
といえば、目標を定めることは確実に必要だと思います。
けれどもそれはあくまでも
「これをぜひとも成し遂げたい!」
と切に願う何かがある場合のみです。
ドライに聞こえるかもしれませんが、万人に目標が必要かといえばそうとは限りません。
派手な贅沢は出来ずとも
普通に与えられた仕事をこなして
家庭をもち
孫に囲まれて老後を暮らす
という、ただただ目の前の仕事をこなして暮らすだけでも十分な幸せがあります。
とりわけ今という時代はモノにあふれており、100年ほど前には全く想像もできなかった世界に身を置いて現代社会の便を享受できる世の中です。
経済的な側面だけを切り取って語りたいのであれば、日本やアメリカに生まれただけで十分幸せを言えるのではないでしょうか。
そもそもが
「目標を持たねばならない」
などとは押しつけがましいでしょうし、とどのつまり、自分が何をもって自分の人生を定義するのかが大切なように思うのです。
その意味で言えば私(佐藤)自身は「目標を持ちたいタイプ」なんだろうと自己分析しています。
遠慮なく本音をいえば精神的にも物的にも充足された状態でありたいですし、更に本音をいうのであれば資産を構築し続ける理由はお金のことを忘れたいからです。
英語でいうところの「Goal-oriented(目標指向的)」なタイプなのでしょうし、自分でもそれを否定しません。
目標指向が全てとも思いませんが、けれども強いて言えば
「目標なしには物事を成し遂げることは出来ない」
これは確かだと思います。
目標よりも大切な何か
かくしてGoal-oriented(目標指向的)な自分を自覚するうえで、自分が立てたと、とてつもない大きな目標に向かって行動を起こし続ける日々。
このあたりはおそらく脳波やアドレナリン的にはゲームに没頭する自分と全く変わりはなく、ついつい
「まだやりたりない」
「もっともっと続けたい」
と深夜までこっそりゲームを続けて両親に叱られる子供と同じかもしれません。
けれども不思議と、目標に向かって具体的な筋道を立てて動き続ける上ではそこに疲労はないんですよね。
先日もとあるお客様と物件の内覧をしながら
「年中無休で動いていらっしゃるんですね」
「大変ですね。。」
とお気遣いの言葉を頂戴しましたが、当の本人(佐藤)はちっとも大変とは思っていません。
休みたければ休みますが、
- お盆
- 年末年始の行事
- お正月
どれも自分をストップする理由にはならず、家族と過ごす時間や友人・知人との時間のバランスを取りつつも、年中無休(というかオンとオフの境がない)が自分に合っているのです。
結果として大量行動はいつしか質に必ず転換してきます。
当ブログも同様で、毎日更新を継続することでここまでの量は質に転換してくるもの。
目標があればこそ具体的な筋道に対して大量行動が可能なわけで、自分が意識するしないに関わらず、量は質に転換してくるのです。
けれども年中無休で大量行動を続けていればこそ、実感することがあります。
それは目標を達成するために目標以上に大切なことであり、私(佐藤)にとってのそれは
「自分軸をブラさないこと」
です。
ブレない自分軸をつくる
やや抽象的な言い方になりますが、少なくとも何かを成し遂げたいのであれば目標は絶対に必要。
けれども目標をもつ以前に重要なのは、おそらく「自分軸をつくる」ことです。
「自分にとって本当に大切なのは何なのか?」
の問いを自分に立て続け、少しずつ修正しつつ、自分軸を太く太くしていく作業は目標以前に大切です。
良くも悪しくも目標に対する自分の姿勢はその自分軸が基準になるでしょうし、そこには良いも悪いもありません。
例えば会社の営業になるとノルマがあり、会社に決められた達成するべく数字があるはずです。
それはそれで共に働く人々との共通の責任ということになりますが、重要なのはその目標以前に内に秘めた自分軸の方ではないでしょうか。
自分軸がどのような方向を向いてどのような太さに仕上がっているのかで、目標に対する姿勢は全く違ってくるはずです。
「自分は家族を大切にしたい」
「キャリアのみならず人間性に磨きをかけたい」
「社会にあって〇〇の価値貢献をしたい」
そんな千差万別の自分軸があって然るべきで、そこには何ら決められたルールもありません。
正解も間違いもないでしょうし、あくまで自分自身が育て上げる自分軸があって然るべきです。
さもなくばどんな目標を掲げようが無味乾燥なものになるでしょうし、自分軸を中心にすればこそ、ブレることなく進み続けられることになります。
例えば
「仕事は家族の為。あくまでも家族優先」
という一つの軸があれば、目標に対する姿勢は家族を中心にするという自分軸の先にあることになります。
そうすると自分軸の中で家族を中心にする想いから
「午後5時には家に帰らねばならない」
という条件があるとして、それでも目標を達成するとなれば
「人の倍、就業時間は効率よく動く必要がある」
ということになるでしょうし、そこに自分基準を基にする基軸があればこそ、目標に対する姿勢は違ってくることになります。
ここが面白いところで、
⇒ 終電まで仕事をし続ける自分
⇒ 午後5時に家に帰る自分
この両者はどちらが有利かといえば、前者が有利とは限りません。
両者に共通することは「成果を上げること」ですが、そこに必要な大量行動は必ずしも時間に比例するとは限らないのです。
しかもキャリアを積み続ける中でこの傾向は顕著になり、自分軸が出来ていればこそ、常にブレることなく(目標に振り回されることなく)芯のある行動を継続できるものではないでしょうか。
おかげさまで私(佐藤)自身は家族や友人との時間を保ちつつ、それを差し引いた時間の中で大量行動を積み重ね続けています。
けれどもそこに全き充足感を得られるのは、自分なりの自分軸をはぐくみ続けてきたおかげのような気がするのです。
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