アメリカ不動産への直接投資、プロ案件への出資で将来の自分基金を着実に育て上げていきましょう。
→ 最新の案件詳細はこちらから
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
こんにちは。アメリカで不動産エージェント兼コンサルタントとして働く佐藤です。
ここ最近、私(佐藤)の周りでもAIに関する議論がかなり活発に聞かれています。
先日はchatGPTを世に出したOpenAIに対し、イーロン・マスク氏や人工知能専門家、業界幹部らが
「AIシステムの開発を6カ月間停止を求める」
との公開書簡を提出しています。
皮肉なことに、OpenAIの創業者の一人であるイーロン・マスク氏本人が署名しているのです。
その趣旨は
AIは社会にリスクをもたらす可能性がある
まずは安全性に関する共通規範を確立する必要がある
とのこと。
これに対しOpenAI社は
「リスクも十分に検証した上で、世に出している」
との反論。
同時にGPT-4とういバージョン4も発表され、いよいよ世界中への影響力が増してきているようです。
結論、AI開発が止まることはまずないだろうなと思います。
私(佐藤)も過去にプログラミングを突き詰めた一人ですのでその立場からいえば、
「AI開発の勢いは止まらず、むしろ加速する」
「規制の議論は追い付かないまま、混乱期を経て徐々に落ち着くべき範囲に落ち着く」
そんな風に進んでいくはずです。
良し悪しを語るというよりも、そんな流れは過去にいかなる発明を後日談を人類史が証明していますし、仮に今のAI開発の流れを一時停止したところで、必ず隠れて進んでいくはずです。
まさにAIの世界に関しては不可逆的なレベルに入り、二度と昔には戻らない地点に到達してきたように思います。
知識を詰め込む教育が終わる
ときに、chatGPTを自分で使ってみたことがあれば体感として誰でも理解すると思いますが、
「知識を詰め込む教育は終わる」
そんな近い将来がみえているように思います。
小学校
中学校
高校
大学
と、7歳から22歳まで勉強をつづけたとしても、AIには到底及ばないのです。
最近はよく
「AIによりなくなるだろう職業」
なる記事をよく目にしますが、いずれの職業も完全になくなることはなかったとしても、暮らしていくのに十分な稼ぎにはならないのはそうではないでしょうか。
少なくとも
「知識をもって文章を書く」
などという分野はそれこそchatGPTの得意分野ですし、そうするとライターの仕事は、それだけではなかなか厳しいことになりそうです。
どれだけ知識をため込んでも知識でAIに勝つことは無理ですから、そうすると落ち着くところまできたら
「知識勝負は無理」
「AIに任せられるところは任せよう」
そんな風潮が根付いてくるのではないでしょうか。
もちろん学校教育の全てが
「意味がないからやる必要はない」
とは極論でそんなことはなく、最低限の教育が必要なことはいつになっても変わらないはずです。
基礎解析
微分積分
のように、期間限定の知識ベースのものはいよいよ存在が薄くなるのかもしれません。
ある程度の義務教育レベルで身につけるべきものは学び、より高度なものに関しては知識を詰め込むというよりも、いかにAIを活用するかに重点をおかれそうな気がします。
そうすると、日本で過去一貫して行われてきた答えを教える教育等は、それこそ変化を余儀なくされるのかもしれません。
感性に寄り始める
そしてさらにもう少し先になると、
「知識はAIに任せる」
「人間に大切なのはAIの活用の仕方」
という向きが強まり始めると、ごく自然に世の中のトレンドは
「人にしかもてない感性」
に寄り始めるのではないでしょうか。
AIもまたどんどん進化を遂げて、理論的に人の感性を察知する能力は十分に発展してくると思います。
人との対話でどんなタイミングでどんな答えをだすべきかをより的確に判断するようになるでしょうし、そのレベルの進化は向こう数年でより鮮明になるはずです。
けれどもAIが編み出す感性とナチュラルな人の感性は明らかに違いがあります。
そしてこの感性は間違いなくAIは模倣は出来ても生命体としての感性を醸し出すことは出来ず、そうすると案外、次の時代に人が発展させ始めるのは感性の分野なのかもしれません。
もしもそんな人類が感性により始める時代がくるとしたら、実は日本という国が世界の中でより光ってくるように思います。
自国の日本を自虐的にさげすむ残念な発言を目にすることもありますが、私(佐藤)は外から祖国を見ていればこそ、日本人の感性は客観的に見ても素晴らしと思います。
よくある例では、スポーツの世界でも
「日本の選手団が去った後はごみ一つ落ちていない」
という美の文化です。
またお菓子一つにしても、その袋に非常に繊細な美の追求を見られる国は、少なくとも私(佐藤)は他国で見たことがありません。
そういった日本人の感性こそ、AIが台頭する時代にはいよいよ輝いてくるように思います。
「でも、日本語という言葉の壁がある以上は限界があるのでは?」
という意見もあるかもしれませんが、それこそ言葉の壁など、いよいよ進化し続けるAI技術で完全に取り払われてしまう時代がすぐそこまで来ていると思うのです。
そうするといよいよ言葉の壁を完全に取り壊し、日本人の感性は世界中の「感性に寄り始める」というトレンドの中で存在感を増してくるのではないでしょうか。
「日本は経済的には下がり続ける」
とは事実かもしれませんが、その一方で
「日本人の感性の面が世界の中でより際立ってくる」
そんな時代が到来するように思うのです。
投資案件をメールマガジンで無料購読。
下記よりメールアドレスをご登録ください。