こんにちは。アメリカで不動産エージェント兼コンサルタントとして働く佐藤です。
世の中、基本的に
「いい人の方が多い」
と思っています。
普段ニュースを見ると、
「ロマンス詐欺で〇〇〇円の被害」
「騙し取ったお金で豪遊」
等、今年も年末までこの手の事件が毎日のように出てきます。
事件性があるからこそニュースの話題に挙げられるわけですが、繰り返し目に飛び込む記事を見ていると
「この世は騙し騙されしかない」
とすら思えてしまいそうです。
そしてニュースで目にするのは事件のほんの一握りであり、ニュースに取り上げられるほどではない事件はそれ以上の数発生しているもの。
けれども、それでも私(佐藤)は
「世の中、いい人の方が遥かに多い」
と思うのです。
大多数の人々は全うな感性をお持ちですし、自分の感性はともかく、ありがたくも周りのお付き合いする人々は良識のある人たちばかり。
意識的に
「あっ、この手の方はちょっと。。」
と、少し接してみてこれ以上のお付き合いは避けておこうと思う方を避けていることも事実ですが、少なくとも自分の人生の軌跡を振り返ってみると、やはり世の中いい人の方が多いと思います。
そして少なくとも普通に良識のある人々の中では、共通する感性があります。
厳密にはこの共通の感性は人種・民族ごとに異なるものですが、このことは人種の坩堝である米国では殊更顕著に見えてくるもので、少なくとも同じ人種・民族であれば
「良識ある人々は、この場面ではこんな風に反応する傾向がある」
という場面はあるものです。
その中の一つに、お金に対する見方の違いがあります。
例えば日本人の場合、
貯金額
資産額
等の自分のお金に関してはあまり周囲に話さないものではないでしょうか。
お金の話はどちらかといえば憚られる雰囲気があるでしょうし、自分も周りも同じ感性のはずです。
たまにYoutubeではあからさまに自分の資産を語る場面もみますが、そのような人はごく一部。
それが良い悪いではなく、
「自分の所持金についてはあからさまに話すものではない」
という認識があるように思います。
お金に覚える罪悪感
恐らく日本では良識があればこそ、自分の懐事情についてベラベラと他人に話すことはありません。
これと同じで良識があればこそ、お金に対して日本人が共通に無意識にも抱く感性があります。
ここはある種の心理学的な話しですが、一般的に、日本人は
「自分に過分と思う金額を手にすると、罪悪感を覚える」
のだそうです。
あくまでも一般論の為に全員に当てはまる話ではないと思いますが、例えば毎月のお給料が25万円の人がいたとします。
貯金は400万円程度あり、可もなく不可もなく、満足な人生を送っているとします。
ところがこの方が突然
「宝くじで2億円が当たった」
としましょう。
そうすると、平均的な良識ある日本人は急に多額のお金を所有したことで、周りに対して罪悪感を覚えるのだそうです。
本人は何も悪いことをしたわけではないのに、周りに対して申し訳ないという想い。
ともすると良くも悪くも平等が求められる社会の中で、
「一人抜け駆けして、多額を手にしてしまった。。」
というところに罪悪感を覚えるのかもしれません。
厳密には、世間様全員に対して罪悪感を覚えるわけではなく、とりわけ
- 親兄弟
- 親族
- 友人知人
に倒して負い目を感じ、特に
親兄弟
親族
に入る人々に対しては
「自分はこんなにお金をもってしまったのだから、皆に分け与えねば。。」
という想いに駆られる傾向があるのだそうです。
この気持ちは分からなくもなく、
多額を手にしたことで気持ちが大きくなるというよりも、
「自分が思いがけず手にした大金の一部を分けることで罪悪感を解消しよう」
という心理が働くのではないでしょうか。
そして特に親族間でもそれなりに仲が良い場合は
甥っ子・姪っ子の学費を出してあげる
義理兄弟の起業資金を提供してあげる
等、絵に描いたような親族愛を発揮して助けてあげる場面が意外にも多い、というのです。
結果として、自分自身でも多少はお金を使いながらも「親族支援」を旗印に掲げ、それらを繰り返すうちに全額を溶かしてしまいます。
お金の使い方が分からない時は
一面、このようなあぶく銭は良識のある人ほどなくなってしまうという事実。
分け与えることそのものは何も非難されるものではなく、そもそもご本人のお金ですし、他人が口出しをするようなことではなりません。
けれどもやはり一投資家として率直に思うのは、
「手にしたお金は使わずに、手にしたお金に働いてもらって、運んできてくれたお金だけを使った方が良いのでは」
という、資本主義の仕組みを利用したお金の使い方です。
私(佐藤)自身もこのことは意識しており、
思いがけず大金を手にした ⇒ せっせと貯金しよう
ではなく、
ビジネスで大きく売り上げが出た ⇒ せっせと資産を購入しよう
という後者の繰り返しです。
恐らくここは心理的には
「せっせとお金を貯めなきゃ」
という感覚と全く同じで、私自身は
「せっせと資産を買わなきゃ」
と考えてしまいます。
それこそ
「宵越しのお金は持たずに資産に回せ」
で、貯金口座ではなく資産口座に直球まっしぐらです。
このやり方であれば元金はなくなることはありませんし、資産から漏れ出てくるお金だけを使えば、恒久的にお金はなくなることはありません。
株でも不動産でもよいのですが、
1.自分が納得・理解できるまで勉強する
2.自分が深く理解したものに小額を入れる
3.徐々にポートフォリオを広げる
4.徐々に投資額を増やす
の式で徐々に資産を拡大するのが最も良いと思いますし、そこからあふれ出てくるおこぼれのお金だけを使うようにすれば、ほぼ一生安泰です。
そして何より重要なポイントは、
「株も不動産も、その出資は人様のお役に立っている」
という事実。
株であればその投資する会社の運用資金として、
- 経営者
- 社員
- その会社のお客
の人々を助けることになります。
また不動産であれば入居する
- 居住テナント
- 商業テナント
をそれぞれ助けることになるわけで、私自身はとりわけ自分の不動産への投資が
「世間の人々の住を助ける」
「その居住空間で団欒の機会が持たれる」
ということにワクワクします。
私は家が大好きですし、自分の投資が他人様の空間のお役に立てるとしたら心から嬉しいのです。
そしてもしも
「大金を持つことに罪悪感を覚える」
という人があれば、それこそ人様のお役に立てる資産を購入することで
⇒ 他者の役に立ちながらも元金を減らさない
⇒ おこぼれのお金を上限として楽しむ
という式が成り立ち、罪悪感を完全に解消しつつ人生を楽しめるように思います。
投資案件をメールマガジンで無料購読。
下記よりメールアドレスをご登録ください。