アメリカ不動産への直接投資、プロ案件への出資で将来の自分基金を着実に育て上げていきましょう。
→ 最新の案件詳細はこちらから
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
こんにちは。アメリカで不動産エージェント兼コンサルタントとして働く佐藤です。
近年、日本では
「生活が苦しい」
「子供の教育費も厳しい」
そんな声がかなり多くなっていると聞きます。
給与は十分に(ほとんど)上がらない中、増税に続く増税で疲弊し生活が楽になる兆しが見えないところか、生活は苦しくなる一方とのこと。
国民総中流階級と呼ばれたのは遥か昔で、今に日本はほぼ完全な格差社会です。
お金を持つ人はますます富み、お金を持てない人々はますます苦しい生活に追いやられていきます。
90年代から米国で暮らしてきた立場として言わせて頂くと、
「格差の影響はますます深刻になる」
これだけは間違いありません。
時折当ブログでも触れる節ですが、それが100%とまでは言わないものの、およそ文明社会へと進む国は似たような軌跡をたどることになると思うのです。
そして今の日本にハッキリと見えてきた格差社会は、米国の軌跡をみると「すでに起こった未来」であり、格差社会の成れの果てはかなりの確率で同じになると思うのです。
もちろん福祉制度等で根本的な違いはありますが、それでも同じく民主主義を謳う国々では微妙な違いがあれども、同じ格差社会へと進んでいくベクトルは変わらないのです。
そうするとおそらくここからの日本で起こること(あるいはすでに起こっていること)。
それはアメリカですでに起こっている現実で
「中間層が最も生活が苦しい」
という世相です。
所得的に中間に所属する人々は最も苦しく、
高所得層に入って自力でライフスタイルを確保できる
或いは
低所得層(生活保護のレベル)に入って政府保護の下にライフスタイルを確保できる
この二極分化しかありません。
およそ中間の所得レベルでは税金に吸い取られるばかりで、納税後でも多額のお金が手元に残る高所得層に入らない限り、豊かさを享受することは極めて難しくなるのです。
資本主義が行き詰まる理由
日本と米国の歴史と現在の国民の様相を見ていると、それぞれの格差社会に共通する要因が見えてきます。
それが全てとはいわずとも、格差社会を生み出すかなりの要因になっている様子。
それは
「資本主義を掲げる根幹が知識社会になっていること」
です。
昔の日本は、誰でも心が豊かだったと聞きます。
大昔とはいわずとも、近代社会でも昭和の途中まではそのような心の豊かさが残っていたのです。
数年前、
明治時代の田園に立つ貧しい百姓
太平洋戦争終了直後の焼け野原に立つ少年
といった人々の現存する写真を見たことがありました。
それを見て驚いたのは、彼らの表情の明るいこと明るいこと。
ニコニコと満面の笑顔を浮かべ、彼らの後ろに見える
どうみても不衛生な田園
壊滅状態の街
の背景とはあまりにも対照的な表情です。
そこにはある種の感動を覚えてしまいますし、今の時代には完全に欠けた何かがあります。
その後の日本は民主主義の代表格であるアメリカに追い付け追い越せで、人類史上に類を見ない経済発展を実現させてきました。
結果として生活の質は昔よりも遥かに高まったはずなのに、現代人に昔の人々のような満面の笑顔を見ることが出来ないのはどうしてでしょうか。
ここに民主主義を前提とした知識社会の矛盾があり、
「知識がないと、社会では上にいけない」
「頭が良くないと良い学校にはいけない」
「いい学校を出ないと就職先は限られる」
そんな
「頭がいいものが上にいけるのだ」
という前提そのものが、窮屈な社会を生み出しているように思います。
知識社会の落とし穴
そしてアメリカと日本のみならず、およそ民主主義を掲げる国(あるいは共産主義の国でも)では
「知識層優先社会」
が出来てきます。
そこに秀でた才能があれば優秀な成績を収めてよい暮らしも実現できるかもしれkませんが、それよりも避けられない現実は厳しい格差社会です。
「大谷君のようなホームランを打て!」
そんなことは甚だ無理で、けれども誰もが
「せめてメジャーリーグに入れるように努力しろ!」
そんな風に問われる社会です。
そこには得手不得手があるでしょうし、仮に暗記は苦手でも匠の技をもつ職人はいくらでもいます。
誰もが自分の才能を伸ばした先に評価される社会であればよいのですが、現実は
「頭の良さ」
だけが無理やり同じ尺度として将来を約束する手形に使われているのです。
もちろん知識は大切ですし、とりわけ地球上で物理的距離の制約がほとんどなくなった情報化社会においては人類の集合知が登場しているわけで、最低限の知識は必要です。
けれども最低限の知識は身に着けつつも、それ以上は個人の特性を伸ばし続けられる環境と、それを評価できる社会にならない限り、格差社会の是正は出来ないのではないでしょうか。
それが実現するのはかなり先のことになるでしょうし、少なくとも私たちが生きている時代には知識社会が善とされる流れは変わらなそうです。
そして現状に抗(あらが)うせめてもの手段。
それはおそらく
「金融知識を身に着けること」
です。
ここには学歴は関係なく、そもそも学校ではお金のことは教えてくれませんでした。
近年、多少はお金や投資に関する授業が導入されつつあるようですが、教える側が経営の経験者でなければその効果は限定的かもしれません。
そうすると金融知識は自分自身で学んでいく必要があると思いますし、知識社会においては最低でも金融知識をしっかりと身に着けていればミチは開けやすいように思うのです。
当ブログを書き続ける理由の一つはそこにあり、本年もまた大変微力ながら自分なりにブログでの情報発信を通して、知識社会に抗う術をご提供し続けていきたいと考えています。
投資案件をメールマガジンで無料購読。
下記よりメールアドレスをご登録ください。